Fielder vol.35 野生美食倶楽部 ー目次ー

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近所の自然には未知なる旨さが潜んでいる

野生動植物を食べないなんてもったいない 

 現代における人間と自然環境。この関係性をわかりやすく表すなら、中世ヨーロッパの封建社会が妥当である。本来人間はホモ・サピエンスという一種の動物として自然環境に内包されているわけだが、ただ闇雲に繁栄を続けてきた現在、その主従関係は逆転しているような錯覚すら覚える。人間は領主、野生動物や化石燃料を含む自然環境は農民と仮定してみよう。

 さて、当然領主は農民が生み出した様々な資源を搾取して生きている。領主は本来この世界には存在しなかった〝権利〞なる想像上の力を構築し、農民がもともと生きていた土地さえ自分のものとして、それらを自由に使役している。

 とはいえ、あまり厳しい搾取を続けると、農民が疲弊して生産力も下がる、すなわち領主自身の生活が脅かされる。だから時々「農民の生活をよりよくするため」などと自己満足的な言い訳をして、環境整備や規制緩和などの政治を行うわけだ。当然、農民のためとは表向きであって、実際には農民からより持続的に、より効率良く資源を巻き上げるための方策である。何をするにしても自身の利益獲得が目的となっている。

 そう考えると思い当たる節がある。近年日本古来の自然環境を破壊するなどの理屈から、日本は海外から国内に入ってきた一定の動物を特定外来生物として規制・防除の対象としている。その多くは食料や農作物を荒らす害獣・害虫の天敵、あるいは日々の充実を担うペットとして人為的に日本へ上陸した動物だが、予想外に自然界で繁殖してしまい、日本の生産力を下げる物体へと変わってしまったために殺すことにしたのだ。日本古来の自然環境を最も破壊している動物は言わずもがな人間だが、〝美しい日本〞の環境を守ることは表向きなので問題なし。領主様の利益獲得のために、輪を乱す農民を排除したのである。

 確かに、我々人間だって太古より自然淘汰をくぐり抜けてきた動物で、自らの安泰を求めるのは本能と言える。うわべで語られるヒューマニズムは抜きにしても、先の「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」だって自己保存の一環であり、自らこれを否定するのはおかしな話だろう。にも関わらず、どうしても今のやり方に領主的傲慢や不誠実を感じてしまうのはなぜか。例えばそれは、〝防除〞という一言で動物が片付けられているからに他ならない。

 あくまで、我々人間は自然環境とともに生きているのだ。少なくとも食べることをやめない限り、その関係性は不変である。ならば今も昔も変わらず、我々とテリトリー争いを続ける野生動植物と誠実に向き合わなければならない。つまりは、旨く食べなきゃもったいない。

※この記事は2017年8月発売『Fielder vol.35』に掲載されたものです。