瀬畑雄三
せばた・ゆうぞう●大鵬、王貞治と同世代の1940年生まれ。独自の工夫、バイタリティ、知的好奇心で日本の難渓を渡り歩く。積み重ねた実績と芯が通った穏やかな人柄から、野遊び界の支柱的存在で「渓の翁」とも呼ばれている。近年は、只見叶津番所にいることが多い。著書に『渓のおきな一代記』(みすず書房)、『渓語り』(つり人社)など。
サバイバルに最適な日本伝来の実戦的フィッシング
しなやかなカーボン竿が柔らかくも鋭くしなり息を吹き込まれたラインが空間をまっすぐに延びていく。シンプルで奥が深い日本伝統の毛バリ釣り。サバイバル登山家の師の一人、瀬畑雄三を訪ねその技に野生とテクノロジーの融合をみた。
文/服部文祥 写真/亀田正人
テンカラは地球の文明を代表する
地球外知的生物がもし地球を訪れて、この星と人間とその文化を数日で理解したいと言ったら、私はテンカラサオを手にした山旅に同行するよう提案する。虫に似せた擬似バリを竿とラインで飛ばし、水中に生息する魚を釣り上げ、焚き火で調理して食べる。山にも登る。そこには人類の基本的な生き様と、文明のいくつかが、確実に詰まっている。人間と地球を理解する入り口にはもってこいである。
軽くシンプルなテンカラ釣り。その裏には簡単に説明を許さない奥行きがある。釣りバリ一本とってみても、それは人類の金属鍛錬の髄と歴史の結晶である。毛バリに使う鳥の羽根は恐竜の鱗が進化したものと考えられている。その軽さ、性的アピールに伴う色の輝きなどを利用して、釣り人は昆虫に似た毛バリを作る。昆虫が輝く外羽を持つのは鳥に食べられないためだという。一方で、渓流魚は光るものが好きだ。おそらく虫の羽の輝きで魚はエサとゴミを見分けている。そして、釣り人は鳥の羽根の輝きを使ってそこにつけ込んで……と、最初に何を言おうとしていたのかわからなくなるほど、毛バリ釣りは、それぞれの生物が生きるために発展させた生態を利している。
そこに山旅という要素が加わる。憧れの峰、美渓、秘境への旅は、シンプルな原始生活のようで、簡単には分析を許さないほど奥深い。たとえば、渓歩き一つをとっても、人類が作り出した機械ではこなせない。河原の石に足を置き、バランスを取りながら次の足を出していく。この単なる河原歩きをプログラミングすることはできないのだ。機械が将棋や囲碁で人間に勝てても、山旅ができるようになることはおそらくない。
自然環境を旅すること。地球のサイクルに入り込んで過ごすこと。それは生き物の特権である。どこまでもいのちの行為だ。もしくは生き物とは、自然の中を旅する(移動する)存在なのかもしれない。だとすれば、人間は街を離れ、竿を持って山の中に入った時にのみ、生き物に戻っているのかもしれない。
テンカラと竿の長さ
瀬畑雄三本人と出会うかなり前から、私は瀬畑雄三に出会っていた。私の周りにいた釣り人たちの中に瀬畑さんが入り込んでいたからである。同じように、私の釣りを雑誌などで見ている方の中にも、すでに瀬畑さんがすこし入り込んでいるかもしれない。
自然を相手に活動する人間は、柔軟さとかたくなさを併せ持っている。頑固な芯は重要だ。柔軟に何でも取り入れることが、革新的で器が大きく優れた性向だと思われているが、それは単なるバカである。なんでも試してみたうえで、その価値を正しく判断できなければ、新しいことを取り入れたあげくに、後退をすることになりかねない。
毛バリ釣りとエサ釣りのどちらが優れているか。フライフィッシング(西洋式)とテンカラ(和式)はどうか。答えは、釣り人の技量や、フィールド、目的によって変わってくる。私はエサ釣り→フライフィッシング→テンカラ釣りと遠回りしてきたゆえ、テンカラ釣りの長所も短所も心得ているつもりだ。
私にはテンカラ釣りの師が複数いる。もっとも多くの教えを受けたのは、アウトドアカメラマンの丸山剛である。長年、渓流釣りをやってきた丸山さんとは、私がサバイバル登山に目覚め、渓流釣りの修行をはじめた頃から深くつき合ってきた。
丸山さんは仕事でもプライベートでも瀬畑さんと長く釣行を共にしていたので、瀬畑流(をちょっと独自に変化させた)テンカラの名手の一人。さしずめ瀬畑流の高弟というところだ。
丸山さんは、エサ釣りからフライフィッシングに向かった私に、無理にテンカラ釣りを薦めることなく、つき合ってくれた。長い目で見守っていてくれた、というよりは、どうせそのうちテンカラにたどり着くと心の中で笑っていたのかもしれない。
北アルプス、黒薙川北又谷を私はフライロッド、丸山さんはテンカラでいっしょに遡行し、テンカラの威力を見せつけられた。翌年、今度は秋山郷の魚野川にいっしょに行った。私の手には相変わらずフライロッドが握られていたが、その魚野川で私は、水に沈んでいるテンカラ竿を拾得した。それが最後のトドメだった。予備のラインをもらい、拾った竿を振りながら、初めて渓を歩いた。テンカラ竿を借りて釣りをしたことはあったが、歩きながら自分の竿を振るのは初めてだった。
日本の渓を歩く山旅のテンポに、テンカラ釣りはぴったり適合していた。シンプルさと手返しの速さ、万能さ、躍動感と清々しさ。そしてそこには私が追求するサバイバル登山をさらに深めてくれそうな予感まで含んでいた。あえて難点を挙げれば、木々が覆い被さった渓では、毛バリを打ちにくいというくらい。私はあっさりフライフィッシングへの憧れとこだわりを捨てた。
そのとき拾った竿は、釣行の途中で仕舞えなくなり、仕舞わないで歩いていたら、藪にひっかけて折ってしまった。帰京してすぐにテンカラ竿を購入した。購入に際して、丸山さんが静かに強調したのは、四メートルという長さだった。四メートルは毛バリを振る竿としてはやや長めになる。だがその長さは、日本の大渓谷を繋ぐ山旅派が行き着いた結論であり、その中心にいるのが、瀬畑雄三さんだった。
翁の釣り道具
それぞれが考え抜かれ、洗練されたものでありながら、強いこだわりは感じさせない。ラインと毛バリはオリジナル、竿は会うたびに変わっている。ただ長さはおおむね4m前後。胴調子を好むようだ。毛バリ釣りは「かんたんだよぉ」がいつもの口癖。難しく考えすぎず、魚のいる渓で、とにかくドンドン振ってみる。ことからはじまるようだ
竿の振り方
何でもないように振られた竿から、まるで意志を持つように飛ばしイトが延びていく。イトが延びきると同時にハリスだけが着水し、そのあと、水面に漂うラインでアタリを探る。「簡単だよぉ」と瀬畑は笑うが、「うまく打てるのが前提条件」と言うこともある。瀬畑の振り込みは、もはや歩く、息をすると似たような、生きるための行為の一つ。
上達すればより遠くの小さなポイントを狙える
日本の山旅はこのような開けた渓を行くことが多いので、4mの竿に長めのラインを付けて、遠くから正確に打ち込みたい。瀬畑流をレベルラインに発展させた服部。
動作その1
手前にだらんと垂らした状態、もしくは、打ち込んだあとラインが手前に流れてきたところから打ち込みの動作が始まる
動作その2
軽く素早く竿を真上に振り上げる。竿のしなりを追うようにラインはほぼ真上に上がる。真上に振り上げるイメージと、竿のしなりがポイント
動作その3
振り上げたラインが延びきる直前まで、ワンテンポため、ラインに鞭打つような力が加わるタイミングで、竿のしなりを使って打ち込む
動作その4
力は要らない。タイミングと竿のしなりが重要。竿はラインにエネルギーを送り込むためのものであり、60度ほどしか動いていない
動作その5
竿は倒しすぎない。エネルギーが伝わったラインはまっすぐに延びていく。延びきる直前あたりでちょっと竿を振るようにするとハリスと毛バリだけが着水する(これは達人の技)
動作その6
毛バリを自然に流し、イワナに毛バリを見せてやる。ときにはちょっと引っ張って誘ってやる(この加減も達人の技)。食い筋をすべて試すようにずらして何度か打ち込んで流す
魚の居場所
イワナは自分を守り、エサを食べ、繁殖しなくてはならない。釣り人はそこにつけ込む。生態は生きる術でもあり、弱点でもある。安全かつ消費するエネルギー以上のエネルギー(エサ)を確保できるところにイワナは着いている。上流から流れてくるエサを待つイワナの気持ちになって流れを見れば、イワナの姿が見えてくる。
渓の地形を読んで流れの強弱に注目する
あまりに急流ではイワナがとどまることができない。流れがなければエサがこない。水深がある方が隠れるのに便利である。そのバランスを見極める。季節や天候でも居着く場所は違う
カケアガリ
段差や小滝でいったん深くなった流れが、急激に浅くなる川底の斜面をカケアガリという。流れがいったん遅くなり、沈んだエサも浮いているエサも見えるため魚が居着く
晴れの平瀬
暖かく、虫がよく動く日、イワナは岩のゴロゴロした平瀬に出てきてエサを待つ。「こんなところに?」という浅瀬に大物がいることも。テンカラが得意とする状況
流木や岩付近のよどみ、えぐれ
もっともオーソドックスなポイント。慣れてくればエサを待つイワナを視認できることもある。流れの至る所にあるので、どこに打つかを見極めることも大切
滝壺、プール
大物が居着く代表的なポイント。カケアガリやよどみと合わさっており、手前から丁寧に毛バリを打っていくのがコツ。回遊しているイワナもいるので、しつこく毛バリを打ってもよい
翁の山行装備
長い間、渓で遊んできた瀬畑は独自の装備観をもっている。値段もブランドも関係ない。どうすれば渓で快適に楽しく遊べるか。常に目を光らせ利用できるものを探すそのお眼鏡にかなったものは、洗練された瀬畑の釣行にぴったりとマッチする、個性派ぞろい。
傘
トレードマークでもあり実用でもある。裏に毛バリ刺しが付けられている
バックパック
秀山荘オリジナル?だろうか。サイドポケットが大きいのが特徴
タイヤチューブ
濡れたズボンが下がってこないベルト。竿を差したり、焚き付けにもなる
沢足袋
釣り用の足袋を使っているのは、翁でも脱いだり履いたりが楽だから