本誌推薦『アーバンサバイバル入門』
DECO刊/A5版変形・320頁/本体3000円+税
服部文祥がサバイバル登山で培った思想を、街の生活にどう生かしているのかを具体的に紹介する野性的自力快適生活の指南書。本気で野遊びを志す者の間ではもはやバイブルとなった『サバイバル登山入門』(DECO)と同様に、考え方と実践方法がバランスよく、写真とイラストを交えて解説され、都市文明に侵されつつある人生を考え直し、身近なところから生きる本質に迫る楽しみを教えてくれる。
服部文祥が山塊で実践する“フェアの思想”は、その日常にどう活かされているのか?ここでは服部が送る日々の生活様式を詳細に記した「アーバンサバイバル入門」の発刊に合わせて、その思想の一部を抜粋している。服部曰く、「Fielder」読者に甘えて思いつくままに御託を並べましたが、「アーバンサバイバル入門」はもっとすっきりと都会型サバイバル登山のハウツーを解説した快適生活の入門書です……とのこと。いずれにしても本誌同様、貨幣経済が生み出した偽りの常識を暴く1冊である。
文/服部文祥 写真/速見ケン、編集部
アーバンサバイバル思想の抜粋
【その1】自宅周辺の肉を食べる
そもそも肉とはなんだろう
生き物は「栄養の採り方」で大きく二つに分けることができる。自分の自身で栄養を作り出せる「独立栄養型」と自分以外の場所から栄養をとってくる「従属栄養型」である。独立型の生物の代表が、光合成(太陽エネルギーを使って空気中の二酸化炭素から炭素を取り出すこと)をおこなう植物全般で、動きまわる生き物は一般的にすべて従属型生物である。人間ももちろん従属型になる。
従属型生物は自分以外のものを「食べて」生きている。食べ物は、なんでもいいわけではない。岩や砂など鉱物から自分たちを維持するエネルギーを取り出したり、自分たちの体を作る物質を得たりすることはできない。生き物の栄養になったり、身体組織になったりするのに都合の良い物質(食べ物)は、消化して取り込み、また結合させられる有機物である。もっと簡単にいうと「生き物」だ。塩やリンなどのわずかな鉱物以外、生き物の食べ物は、自分以外の生き物なのである。
もし、地球に従属型の生き物しかいなかったら、お互い食べて食べられてを繰り返しているうちに、エネルギーは消耗するばかりで、最後には誰もいなくなってしまう。従属型の生き物が生きていけるのは、独立型の生き物(=植物)が太陽エネルギーを、たとえばデンプンのような有機物に変えて植物自体に取り込み、それを従属型の生き物が食べているからに他ならない。
だから動く生き物は、直接間接はともかく、すべて植物のお陰で生きている。
人間も植物のお陰で生きている。それどころか植物だけを食べて充分健康に生きていける。ただ、動く生き物を食べたほうが、摂取しやすい栄養がある。タンパク質や脂、ミネラルなどだ。それらは肉や魚からのほうが摂取しやすく、質も高い。だから身体はそれらの肉や魚を本能的に欲っしている。肉を食べたときに「うまい」と感じるのはそのためである。
人間以外の雑食動物も栄養満点で栄養の摂取効率がいい肉が大好きだ。
肉食獣はもちろん、雑食の生物も肉を食べたいと思っている。だが「肉=自分以外の生き物」なので、食べるためには捕まえて、殺さなくてはならない。ところが、どんな生き物も食べられたくない(殺されたくない)と思っているので、誰かが食べにきたら、命懸けで逃げるか反撃する。
進化の過程で、逃げるほうは逃げ延びる能力を、狩るほうは狩る能力をお互いに洗練させている。どちらか一方の能力が圧倒的に勝っていると、片方は滅ぶことになる。現在、狩られる側も狩る側も存在しているということは、そこそこバランスが整っているということであり、ある意味では持ちつ持たれということになる。洗練された状態でバランスがとれているということは、逃げるにしろ狩るにしろ、それなりに工夫や努力が必要だということだ。
狩る側であることが多かった人間はあるとき、生き物を狩りに行くより、飼うほうが効率が良いことに気がついた。一方、動物の中にも、人間の保護下に入ったほうが種の繁栄にとってプラスだと判断するものもいた。最初の家畜は、狩りの相棒の犬だったが、ヒトはその犬も食べたし、次第にイノシシやヤギの子を飼うようになっていった。現在、都市型生活をする人間にとって、肉といえば飼育した家畜、もしくは養殖した魚や甲殻類であることが当たり前になっている。
牛や羊なら牧草を、豚や鶏は穀類や残飯を食べさせて大きくする(草食動物は胃の中で牧草を分解するバクテリアを増やし、それをタンパク質として吸収している)。ヒトがコストをかけて肉を作り出すのは、先に書いたように、植物を食べるより肉を食べたほうがうまいからである。人間が食べられる穀類を、わざわざ動物に食べさせて肉を得ることのエネルギー効率は非常に悪いが、それでもいまのところは「うまい」肉が優先されている。先進諸国が家畜に回している穀類を自分で食べ、牧草地を畑にし、都市部で捨てられている食料を活用すれば、世界の飢餓問題の多くは(一時的に)解決する。ただ、遠いアフリカの飢えた子供を(一時的に)救うために、うまい肉を我慢して、豆と玄米を食べ続ける人はごく少ない(ヒューマニズム万歳)。
食べるとは、生き物同士の物質のやりとりであり、人間は文明を発展させて増えすぎてしまった(もしくは増えすぎたので文明を発展させた)ので、最近は生き物同士の物質のやりとりにはほとんど加わらず(自分がほかの生き物の食べ物になることはなく)に、自分で育成した肉を、食べるばかりである。それがスーパーで売っている肉だ。
でも、人間が生きている場所は相変わらず地球の上である。都会で暮らしていても、昔のように身の回りの生き物を捕って、食べることができる。そんな肉は実は家畜よりおいしい肉である。そしてそれらを食べることは、ヒトもまだ生態系の一部に参加可能であるということを思い出させてくれる効力がある。
思い出すだけか、少なくとも自分も食われる覚悟を持って生きるかは、その人次第である。
服部は街でも獲物を追い求める
近所で獲れるおいしい肉 【初級編】
食べるための第一の目的は自己保存である。だから獲った生き物から得られるエネルギー以上の労力(エネルギー)を使わなくては獲れないものは、食べ物の対象にならない。農耕でもほんの数粒の米のために田んぼを耕すヒトはない。
だから、効率よくたくさん獲れるものが食べ物になる。そこそこのサイズのものや、短期間に大発生するもの、それほど労力をかけずにたくさん捕獲できるものなどである。
たとえば横浜の住宅地では、ザリガニ、ヒキガエル、ウシガエル、ミドリガメ、ハクビシンなど。セミも大発生するので候補になるかもしれない。コオロギやバッタはどうだろう? 小さな虫は鶏に食べさせて、卵に変えて回収したほうがよいかもしれない。
ハクビシン
本来は狩猟期間中にしか獲ることができない動物だが、近年は農業被害が拡大しているので、有害獣駆除として正当な理由があれば、申請して許可を得て、捕獲することができる地域が多く、横浜もすぐに許可が出た。捕獲は市販されている箱ワナで行なう。果物を主食としているために、肉は非常においしい。
皮をはぐ
小型肉食獣は皮下のスジが強く、皮を剥ぐのに力がいる。鹿と同じく、首回りのぐるっと切り、ぶら下げてむく。見た目で誤解を受け、通報される可能性があるので、人目につかないところで作業することを薦める。襟巻きに良い毛皮だったが、脂が多くカツオブシムシが涌いた。
肉をとる
見た感じからおいしそうな肉であることがわかる。気になる臭いもまったくない。解体方法はほぼ鹿と同じ。消化器官の内容物を肉に付けないように。特に糞はネコに似て臭い。
前脚と背ロース
背ロースは鹿のように発達していないが、前脚はまあまあ肉がついている。食べていてもスジは気にならないので、削ぐように肉を落として、料理する。
後脚
モモ肉もブロックごとにわけるほどではない。脚はそのまま薪ストーブ(オーブン)などでじっくり焼いてかじりつくと旨い。
服部が獲ったご近所の獲物たち
ザリガニ
都会のどぶ川に生息するロブスター。泥抜きをすればかなりうまい。レシピはシンプルな塩ゆでがよいようだ。都会では化学汚染が気になるが、汚したのは我々であり、殺して食う上に文句まで言ったらバチが当たる。
ミドリガメ
とにかく旨い。街中ではもちろん海山を含めても、一般的に調達できる食べ物の中では特級である。上品なコクのある超高級地鶏味。本当はあまり旨いことを教えたくない。ダシがいいのでカメ鍋がよい。
ウシガエル
モモ肉を焼くと肉がぷるっと丸くなり、はじめ人間ギャートルズに登場する、骨付きに肉に酷似する。サイズは小さいが昭和世代は「肉を食べている」と実感するだろう。ヒキガエルのほうが味は濃い。
アオダイショウ
大きくて食い出があり、住宅街にも適応しているので、アーバンサバイバルの主要食料。肛門付近から生臭い臭いを出すので、それが肉に付かないように気をつけて処理する。味はこれも鶏肉にちかい。