【Vol.76】いま一度焚火で生き甲斐のある人生を取り戻す方法 [脱成長タキビズム]

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投資家が目もくれない身近な自然のコモンこそ我らの生活を豊かにする

世間が語る焚火の魅力にいまいち共感できない貴方へ
焚火がなぜ人生を豊かにするのか? ゆっくりと時間が流れる非日常空間が手に入るから……、炎の揺らぎには人間の本能に訴えかける安心感があるから……、はたまた孤立を深める現代社会の中で仲間と語らう憩いの場を作れるから……。どうにも世間で語られている焚火の豊かさはむず痒い。だから本誌は、耳障りのいい騙し文句が横行する現代社会に属せない者、野遊び人に向けて、もっと現金な答えを用意したい。

が、その答えに行き着くには、まず現状我々に根付いている“富”のイメージをリセットしなければならない。豊かさとは何か、それを知るために、とある異世界へ転生してもらう。

[異世界設定1]嫌気性バクテリアも有機物をフル分解してしまい、地中にケロジェン(※1)が蓄積されなかった世界。
[異世界設定2]金属元素も非金属元素バリに原子核〜電子間のクーロン力(※2)が強く、自由電子が生まれにくい世界。

細かなツッコミは抜きにして、要は化石燃料と電気がない地球の平行世界だ。以下、この異世界を“焚火世界”、我々の棲まう世界を“現世界”と記す。

転生先が電気も石油もない並行世界だったら
カオスの原理に従えば、白亜紀にいた嫌気性バクテリアの振る舞いが1nm違うだけで以降の現象や生物が取る選択は初期化される。したがって焚火世界では新撰組の活躍で東京が江戸のままだった可能性も十分にありえるのだが、ここはバック・トゥ・ザ・フューチャー的楽観論に従い、欧州では産業革命あたりまで、日本では昭和初期くらいまで、現世界と焚火世界は同じ歴史を歩んだとしよう(※3)。

話を日本に絞ると、現世界でもまだ木炭が生活の主要エネルギーだった昭和初期には、政府主導の木炭増産勤労報国運動が行われ、木炭配給統制規則が制定された。当然これは主要エネルギーが石油や電気に取って代わられる際に消えてなくなるわけだが、焚火世界ではさらなる安定化のために、1949年に政府が100%出資する形で植樹、伐採、炭焼き、配給を行う「日本国有木炭(以下:国炭)」が誕生。これまで地域住民のエネルギー源だった多くの山林が木炭の安定供給のために国有利用され、保安上の理由から関係者以外立ち入り禁止となった。
 ちなみに、焚火世界ではこの頃から国有林、私有地を問わず火熾し用の杉っぱや樹皮、焚き付け用の小枝、薪用の倒木など、所有権が曖昧だった落ちているエネルギーの使用が社会問題となり、正規ルート以外のあらゆるエネルギー取得を禁止する木材窃盗取締法(※4)が制定された。広大な山林を所有する者はこれを機にエネルギーの独自販売を行い、国炭の影響力が少ない地域での支配力を強めていった。

サービスの合理化を図って「国炭」は「JC」へ
炭焼きが廃れ、里山にすっかり価値がなくなった現世界とは異なり、焚火世界では昭和末期にもなると、私有地として残っていた里山はほとんどエネルギー系民間企業の所有物となった。それに伴い、国民へのフルサービスが求められる国炭も事業の肥大化による赤字経営脱却のため、自由経済の競争原理に期待して民営化を決断。かくして1987年、国炭は「JC(ジャパンチャコール株式会社)」として再スタートを切った。

こうなると後は苛烈な市場競争である。各家庭には文化かまど(※5)が広まり、焚き付けや薪の需要も増したことから商品が多様化(以下、焚き付け、薪、炭などを合わせて樹木燃料と呼ぶ)。これまで人々が国炭に支払ってきた樹木燃料の従量料金契約を巡って各社とも激しい奪い合いを展開し、その過程で臭いの出ない“ムシュータン”や着火剤と薪が一体化してノータッチで熾火となる“ホッテオキ”などの画期的商品も生まれた。

こうして経済力も人口も急増した日本はピークを迎え、コンシューマー向け樹木燃料「パーソナルチャコール9800シリーズ」で圧倒的シェアを獲得した日暮里エナジー株式会社が世界トップ企業となるまでに至った。山林事業となれば銀行は無限に資金を融資し、日本は空前の好景気に浮き足だっていた。

技術革新は鳴りをひそめブルシットジョブが横行
しかし、現世界でもそうであったように、焚火世界も平成に入ると状況は一変する。昭和中期以降の技術革新により、確かに樹木燃料は燃焼の効率化や無臭化など、生きづらかった生活を快適にする画期的な改良が加えられてきた。人々も盛んに新サービスに加入して、どんどん生活が豊かになっていくのを実感していた。

ところがある時から、取ってつけたような豊かさばかりが語られ、実質的な生活は何も楽になっていかないという状況に変わった。要は生活に本当に必要な商品、サービスはほとんど出尽くしてしまい、資本がさらなる経済成長を遂げるには無意味な付加価値のアピール合戦で人々を騙すよりほかなくなったのである。

この頃にはすっかり樹木燃料も、“英国庭園の貴賓を醸し出す香しいフローラルフレグランス”だとか、“週末の文化かまどパーティには男を上げるカーボンブラック”だとか、見てくれのいい芸能人をイメージキャラクターに据えてかりそめの豊かさを演出する戦略に切り替わっていた。メーカーは時間、労力、お金をかけてエポックメイキングな技術開発に挑むよりも、細工を施した既存商品の宣伝に1億円を支払った方が手堅いことに気づいたのだ。

こうして世の中は“ブルシット・ジョブ(※6)”ばかりにお金が使われるようになり、人気芸能人は1日の撮影と数日のPR活動で終わる広告契約で3000万円を稼ぐのに対し、林業従事者や米農家は、生活になくてはならない仕事にも関わらず年収400万円しか稼げないという不条理な社会となった。おまけに日本全体が開発に注力しなくなったことから、結果周辺国にも経済力で負けるという悪循環にも陥った。

ちなみにこの時代に登場した印象的な商品を挙げれば、先の不条理から自然回帰の流れに傾きはじめていた社会情勢を受け、もはや絶滅危惧種と化していた登山家たちが最後の砦として守ってきた南アルプスをJCが買収。山脈名に“天然木”を加えた商品名で自然派を謳い、空前のヒットとなった樹木燃料がある。もはや無垢の自然すらお金に変えて資本の増殖に励む経済に、広告収入をほぼ得ていないアウトドア誌などから反発の声が挙がったものの所詮弱小。時代の波に飲み込まれていった。

だから焚火好きは富を手にしている
さて、異世界探訪の途中からなぜか現世界にも通じる批判めいた語り口となってしまったが、これはあくまで樹木が生活の主要エネルギーであり続けた世界の話だ。柴刈りに出かける昔話のお爺さんよろしく、樹木はもともと誰もが使えるコモン(共有財産)だった。それが資本主義の広がりとともに次々と資本に収奪され、人々から延々と金を吸い上げる商品となったのである。

こう考えると、“富”とは本来お金ではなくコモンを指していることがわかる。水も、魚も、鉄もそうだ。今でこそコモン持ち=金持ちの符号が成り立つ経済システムだが、いざとなったらケツしか拭けない紙幣と、食べられる魚を一緒くたにするべきではない。

というわけで結論。少なくとも4万9900年間は人類の主要エネルギーであり続けたコモンを、それなりに自由に使える(※7)焚火好きはある意味“富豪”だ。かりそめの豊かさに浮かされて高級リゾートに出かける“お金”持ちより、コモンからエネルギーを得て生活の一端に役立てる我々の方が人生は豊かなのだ。

[一口MEMO]

※1 化石燃料の成因には「有機起源説」と「無機起源説」があるが、現在は前者が支持されている。白亜紀〜ジュラ紀の生物遺骸が海底に沈み、酸化が進まない還元環境にて嫌気性バクテリアが脂質や炭水化物などを残して分解。時を経て残された化合物はケロジェンとなり、さらに長い時を経て地層に埋没し、地熱や圧力によって石油や天然ガスとなった。

※2 次項で詳しく記そうと思ったが断念。プラスの電荷を持つ原子核がマイナスの電荷を持つ電子を静電気力で束縛する力。

※3 実際のところ、縄文土器のひび割れはアスファルトで直されていたようだし、『日本書紀』には燃える水、燃える土が近江大津宮に献上されたとあり、地球に化石燃料がなければ太古よりその歴史は大幅に変わっていたはず。ここではそこら辺もドクとマーティよろしく、華麗にスルーしていただけると幸い。

※4 現世界でも産業革命により急速に資本主義経済が発展した欧州では、ドイツ・ライン州が1843年に同法律を制定。これまで周辺の枯れ木、枯れ葉を拾って生活してきた農民たちは、突然その土地を買い占めた資本家に締め出されて困窮を深めることとなった。

※5 現世界では今でも服部文祥がこれを使っている。火熾しに時間がかかる木炭よリも、杉っぱでサッと薪に火を移して使った方が便利らしい。

※6 現世界ではデヴィッド・グレーバーが提案する仕事の理論で“クソどうでもいい仕事”を表す。そんな仕事ほど報酬が高かったりするのが特徴。

※7 日本の法律では自然物も誰かの所有物だから、当然拾うにもお伺いを立てなければいけない。それでも日本のどこに杉っぱを拾ったからと捕まえにくる人間がいるだろうか……という意。管轄の市区町村、営林署にお伺いを立てると、大抵“自己責任の範囲で”と返ってくる。ちなみにこんなご時世なので念のため記しておくと、林業エリア、果実園、民家等々の樹木を使えば当然警察にしょっ引かれる。


身の回りにある物を活用して火をもっと実用的に使うべし
焚火BRICOLAGE

例え粗末な出来でも一人で完結することが重要!効率を求める現代社会のカウンタースタイル!

「ブリコラージュ」とは西洋の合理主義が生んだ「エンジニアリング」と対極をなす言葉で、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが西洋中心主義への批判とともに提唱した(※1)。要は現代でも南米やアジア、アフリカに見られる、周囲にある余り物などの寄せ集めで道具を作り、当面の必要性を乗り切る思考法だ。本誌としてはこの思考法もまた、豊かな人生を取り戻すための鍵だと考える。確かに徹底した研究、完璧な素材、最高の技術で最善の結果を求める科学的思考法だって素晴らしい。しかし、エンジニアリングの罠は効率を追求するがゆえに人間の仕事を細分化し、結果として個々人が持つ力を弱めてしまう点なのだ。当然、自身に備わる知恵と技術が生活全般から一つの分野に特化してしまえば、一人で生きていくことが難しくなる。我々の人生に当てはめれば、不況、老後、災害……あらゆる不安をお金で解決するしかなくなるから劣悪環境下でも働き続けなければならず、結果さらに個人の力をなくしていくのである(※2)。だからこのスパイラルから抜け出すためには、「一人では何もできない」という不安を拭うことが先決。お粗末でも何かを自前で用意できれば、「いざとなったら」という自信になる。まずは人類の生活に欠かせない焚火周りから、ブリコラージュを実践するべし!

ONE LOG ROCKET FIRE

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自らを燃料に燃え続ける丸太工作の大定番

余っている野営道具がないならフィールドの倒木を切り出してそれ自体を焚火台にすることもできる。丸太にL字の穴をあければ、ロケットストーブと同様の原理で自ら長時間燃焼を続けるから調理用途にも便利だ。着火の際はL字の角部に着火剤を入れて火を熾す。

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倒木(乾いているもの)から切り出した丸太のほか、ハンドドリル(30mm径程度/ 3000円程度)とノコギリさえあれば誰でも制作可能だ。

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丸太天面にクッカーが置けるようV字のゴトクを作り、天面中心に全長の2/3程度まで縦穴をあける。最後に縦穴の深度に合わせて横穴をあけ、縦横を繋げれば完成だ。

※1 クロード・レヴィ=ストロース著・1962年刊『野生の思考』
※2 資本は労働者から時間的余裕をなくし、耳障りのいい言葉で家事や育児の代行(家電含む)など、実生活に根ざした作業でさえサービスに変えて金づるとする

装備軽量化にも貢献する即席焚火台という選択肢

有り合わせ火床創造術

焚火周りで実践するブリコラージュで、最も入り用なアイテムを挙げるなら焚火台だろう。このカテゴリーについては多くのアウトドアマンがこだわりの逸品を自作しているが、今回はエンジニアリングではなく、あくまで“身近にあるもので即席”がキーワードだ。設計や工作技術としての難しさよりも、いかに簡単に必要性を満たすものが作れるか、という難しさがある。ここでは余った野営道具や現地調達物を用いた焚火台を4つ挙げたが、ぜひこれをヒントとして自分自身のブリコラージュを実践してほしい。手法としては「少しのアレンジで転用できるものを探す」か、「単純な形状のものを組む」の2パターンが主流になるだろう。

REVERSE CONE BED

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人間力を奪う合理主義化に 反骨の狼煙を上げよ

身の回りの余っている野営道具、しかも形状が単純なものと言えばペグだ。地面に刺せるという特徴を活かすなら、ペグを放射状に刺して器を作り、その中に断熱材を仕込むのが簡単だろう(ボーイスカウトの立ちカマドと同じ発想)。見た目的にもネイティブ感があって◎

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ペグ+現地素材で作る最も簡素なソロ焚火台

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アウトドアマンなら誰もが持っているペグと、現地調達の草と土で作った焚火台。草は笹系を用いると火を熾した際も燃えにくく崩壊しない。

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手持ちのペグ8本くらいを放射状に並べ、位置を参考にしながら隣り合うペグ同士が根本で交差するように順に刺していく。すべてを刺し終え器状に形を整えたら、土が溢れ出さないよう輪っか状に笹などを詰め、その上から断熱材となる土を盛って完成だ。