【vol.37】でかい波

朝、起きると家から海を眺めるのがいつもの習慣だ。

海と空を見ながら、凪の時も時化の時も今日は何をしようかなと考える。

台風がくるといつものようにでかい波を探しにパトロールに行く。風が荒れ狂う中、いつも見慣れている海が距離感もわからなくなるほど恐ろしくでかい白波に覆われているのを眺めていると、身も心も圧倒されて、ぎゅっと胸が押しつぶされそうになる。

今、泳いだらどうなるのだろうと一瞬、バカな考えが脳裏に浮かぶけれど、波の巨大なパワーにやられて圧死してしまうのだろうなと思う。

集落の小さな漁港の中には大波から避難してきたたくさんのカメが波のうねりに揺られて浮かんでいた。港に避難できていないカメはどうしているのかなとひとりごちていると、連れ合いが高潮に煽られて堤防に打ち上げられている1匹の小さなカメを見つけた。

もう死んでしまったかな?

連れ合いがぐったりとしていた小さな鈍色の甲羅を持ち上げるとバタバタと足を動かすので、急いで海にザブンと落とすと大慌てでドタバタとうねった波間へコミカルに泳いで行った。人間にもこんな奴いるよな、自分もどちらかといえばそっち方面の部類だから、なんかどこか通じ合ったような感じがして何だかほくそ笑んでしまう。

後日、久しぶりに凪いだ海で突いた大きなアカハタは傷だらけだった。あの波の中を岩の中で鰓を張って、踏ん張っていたんだろうなと感慨深くなると同時に、両頬の皮がずるむけて白い肉が剥き出しになったアカハタの顔を海の中でまじまじと見ながら、申し訳ないが少し不味そうだなと思ってしまう。

台風は隣家のトタン屋根を吹き飛ばし畑の野菜や海に面した山々を潮で茶色に枯らしていった。一方で台風の後はいろんなものが海岸に流れ着いてくる。漁で使われている丈夫なカゴやステンレスのカラビナなど利用できそうなものを大量のプラスチックのゴミの中から丹念に探していく。黒潮に乗ってやってきた中国語で書かれたものや四国や九州の地名が書かれたゴミも多い。

テトラポットにスッポリと挟まった7mぐらいの真っ直ぐな杉の丸太を見つけた。新しく作る予定の小屋の材料に使えると思い、チェーンソーで切り出して2人掛かりで軽トラに無理矢理に積みこむ。たっぷりと海水を吸った丸太の重みで軽トラの屋根が歪んでドアが開かなくなってしまったけれど、久しぶりの晴れた日の大物の獲得にいい気分だった。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine:Intifada』『Re:WAR』『Documentary写真』『アフリカ忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。