二〇一六年六月 只見、黒谷川源流部
長生きこそ勝利のように言いはじめたのはどいつだ? それを信じて、自分を安全地帯にしまいこんだのはいつからだ? 原始的環境のなかで生きながらえること命の受け渡しを繰り返して、すべての生命は繋がっていく
文/服部文祥 写真/亀田正人
その食料を殺したのは誰ですか
電気製品を持たず、テントもストーブもなく、食料はできるだけ現地調達で、道のない山を長く旅するというサバイバル登山をしている。その体験を通して、初めてわかったことはいろいろある。夜になれば人間の視力では活動できなくなるということ、どの程度の空腹でどの程度動けるかというの人体実験、焚き火の有用性と効率、不潔と清潔の概念などなど。それら新体験のなかで、もっとも魂を揺さぶられたのは「殺し体験」である。
都市生活者の一人だった私にとって、食料とはスーパーや商店で買ってくるものだった。だから、サバイバル登山をはじめたばかりの頃は、イワナを釣り上げるたびに、複雑な感情が体の中を駆け巡った。
まず、釣りがへたくそだったので、イワナがハリにかかったら、とにかくすぐに河原に引き上げて、叩いて殺すのが作法だった。あわてすぎて、竿を踏んで折ったこともある。
そうして手に入れたイワナは、ずしりと手に重かった。それがタンパク質の塊で、重さのほぼすべてが食料なのだと思うと、純粋な喜びがあふれてきた。イワナのような大きなタンパク質を山中で手に入れるのは難しい。アリやミミズは簡単に捕まえられても、得られるタンパク質量が少なく、効率が悪い。労力と手に入れるエネルギーを比べれば、イワナは自分の命を明日に繋げる存在そのものと言えた。イワナの重さは、これで数時間寿命が延びたという生々しい感触そのままなのだ。そしてその私の命のために、手の中のイワナは死んでいた。
「イワナ=いのち」、そして「いのち=生+死」である。
黒谷川個人履歴
日本の山旅にイワナはぴったり適合する。言い方を変えるならば、イワナ釣りができないと日本の夏山を自由に旅することは難しい。だからひととき、私は修行のように渓流釣りに没頭した。
只見の黒谷川に初めて踏み入れたのは二〇〇〇年、当時私のスタイルはエサ釣りで、サバイバル登山はまだ二シーズン目だった。只見から歩きはじめて四日目、会津丸山岳を踏み、黒谷川を源頭から下降した。源頭の大きな滝を下ると、流れの中に黒く素早い影が走った。釣り上げてまず刺身で食べ、夕食用にも確保した。黒谷川のいのちを釣り上げて、自分のいのちを延長したのである。旅は会津駒ヶ岳までつづき、七日目に檜枝岐に下りた。
次に黒谷川を訪れたのは、一四年後のことである。日本各地でサバイバル登山を行ない、狩猟をはじめ、南アルプスで滑落して肺をつぶし、また、只見の黒谷川に戻ってきた。だがそこは、かつて見た渓とは大きく違い、苔むした森は、あふれ出した土砂で埋め尽くされていた。一四年前に私のいのちを繋いでくれたイワナの影を見ることもできなかった。二〇一一年福島新潟豪雨の影響である。
本州には「魚止めの滝」と呼ばれる滝が多い。マス類が溯ることができない滝がそう呼ばれている。ただ実際は、大きな滝の上にもイワナが生息する。かつて山で生活した山人たちが、滝上にイワナを放してきたからである。私が黒谷川の源流部で食べたイワナも、昔の山人たちが放流してきたイワナだった。
その黒谷川が未曾有の豪雨で「渓抜け」した。今度は自分がイワナを繋ぐ番だ、と私は思った。
その放流計画が実現する前に、昨年、フィールダーvol.24でも紹介したように、私はサバイバル登山で三たび黒谷川を訪れた。源流部にはわずかだがイワナの姿が戻っていた。私が下流のイワナを放流しなくても、イワナはしぶとくたくましく、渓に戻っていたのである。
ただそれでも私の気持ちは変わらなかった。崩ノ滝下のイワナを滝上放流したい。微力でもイワナの復活に貢献したい。それは、個人的な感傷や、喜びかもしれないが、いつかそのイワナの子孫が私のいのちを繋いでくれるかもしれない。
二〇一六年黒谷川へ
残雪が少ないことが追い風だった。シーズン初めに、黒谷川に入るチャンスが来た。まだ豪雨の傷跡が残る林道は復旧工事中で、崩壊部分を迂回する崖の登り下りや、放棄部分を覆う藪が厄介だった。それゆえ、釣り人はそれほど源流部に入っていない。黒谷川林道からゴムダムを経て、稲子沢の出合でタープを張った。
大水でイワナが流されても三年経てば戻る、と教えてくれたのは、テンカラの師、瀬畑雄三である。その言葉通り、ゴムダムより上にはイワナが戻っていた。毛バリを振ると、元気に食いついてくる。サイズは大きくないが、体は太い。同行のカメラ亀田と編集川崎の手にもテンカラ竿が握られている。今回の山旅は取材というよりはテンカラ修行である。初日は夕食用に数本だけキープして、幕場に戻った
たった一泊の渓流釣りだが、スタイルはサバイバル。アプローチでヒラタケを拾い、山菜もその気になればいくらでも取れる。ただイワナを食べなければ始まらない。焚き火を熾こして、米を炊き、イワナを刺身にした。ときどきパラパラと降っていた雨が本降りに変わり、タープの下に夕食と焚き火と自分の体をしぶしぶ移した。
食べ終わってしまえば、雨の夜にやることもなく、早々にシュラフに潜り込んだ。タープを叩く雨の軽いドラムが山の思索を促している。正直なところ、一泊の釣行では、山に生きるものを食べて、自分のいのちを繋いでいるという感覚はない。ただ、山奥に来て、うまいものを食べているだけだ。
それでも、そこはかとない清々しさは漂っている。原始の環境から自分たちの手で、狩猟採取した食べ物である。まぎれもなく、自分の手で調達し、自分の手で殺し、自分で調理したものだ。
食べるとは、殺すことである。生きるためには、自分以外の死が必要だ。なにかが生きるために、なにかが死ぬ。命には生と死という矛盾する要素が含まれているのである。ただ、死ぬものと生きるものは別なので、命は次から次へと受け渡されて繋がっていく。
自分の食べ物を、自分で殺せば、その連鎖の中に自分も含まれていることを実感せざるを得ない。自分が殺したイワナと同じく、いつか自分にも死が訪れる。それ以外に命をつなげる方法がないからである。
それは一見とても怖い、にわかには受け入れがたい恐ろしい未来だ。
おそらくその恐怖から目を背けたくて、人は生活から死の匂いを排除してきた。だが真の意味で、震える魂を救済するには、恐怖を感じさせた野生に、もう一度身を置いて、山の生き物たちと同じ時空間を過ごすしかない。森で命を繋ぐということは、ここに生きる生命体と同じように、自分が生きて輝いているということだからである。命を輝かせること以外に、死を受け入れる方策はないからである。
崩ノ滝放流
朝、雨は上がっていた。竿を振りながら上流を目指すが、気温が低く、イワナは毛バリを追ってくれない。
日が射しはじめ、虫たちの活性が上がって、ようやくイワナが釣れはじめた。気温の上昇に比例して釣果も上がり、徐々に爆釣モードに変わっていく。爆釣とは、魚が沸騰するように、釣れる状態をいう。滝が近くなったので、釣れたイワナをすべてキープ。小一時間で三〇尾近くは出たはずだ。
崩ノ滝は名前の通り、ガラガラとした巨岩帯だ。大きなイワナを数本、まず家族用にいただいた。〆てから腹を出し塩を振る。山の魚を持ち帰ることに批判的な意見もある。少量なら自然を壊すどころか、自然保護思想を育むと私は思う。
そして、残りをビクに入れて滝上に駆け上がった。
イワナが溯りにくい滝を越えて、源流部の平瀬に出た。豪雨の影響で滝上の地形も変わったようだ。魚の放流は近年シリアスな問題だ。外来魚の放流禁止はもちろん、イワナであっても、同じ水系の、できれば同じ渓のイワナを放流したい。地域の固有性が失われてしまうからである。
滝ツボに放せ、というのが瀬畑の教えだが、近くによい場所がなく、もう時間の余裕もない。平瀬のすこし流れが緩いところに、イワナを放した。固有種の特徴を保ったまま、遺伝子の多様性に貢献できただろうか? いつか、彼らの子孫を食べるという、出会いができたらと思う。
01.かつてサバイバル登山の舞台となった黒谷川の源流を目指す
2011年の福島新潟豪雨で渓が抜ける前、黒谷川の源流部は、苔むした石とサワグルミの森だった。流れに泳ぐイワナは食料となって命をつないでくれた。下流の遺伝子を崩ノ滝の上に放流したら、すこしはイワナたちの繁殖に貢献できるだろうか。
雪代は引いても水は冷たかった イワナの活性はそれほど高くない
小手沢出合で林道はなくなり、竿を出して河原を歩く。平瀬に出ているイワナはすくなく、いくつかのポイントで徒渉になった。脚に絡みつく水流は重かった。
ゴムダム上の河原に戻っていた元気なイワナ。生息を確認する程度に釣りながら上流を目指した。林道の復旧が終われば、また釣り人が押し寄せるのだろう。
スタイルはサバイバル 食料に目を光らせて進む
ヒラタケは季節を問わず出会えるキノコ。収穫時期を逃しており、乾燥ヒラタケ気味だった。それが逆に味を濃くしていたことを、この後、夕食のみそ汁で知ることになる。
期間が短い登山ではルートミスが許されない
放棄されて長く経つ林道はところどころヤブに覆われている。一泊二日の登山で時間を無駄にすると、目的の達成が遠のくことになる。長い山行以上にルートファインディングには気を遣わなくてはならない。
02.いったん山に入れば人間の都合は通らない
この日、水を飲みに下りてきたクマと遭遇した。人の存在を知らせたら斜面を駆け上がっていった。宿泊地の大木には真新しいクマの爪痕。空からは水滴が落ち体を濡らす。山は我々の存在を気にかけてはくれない。
ときどき釣り人が利用している平地を我々も一夜の宿とする
いつものように立木を利用してタープを張る。3人なのでアライテントのビバークタープLを使った。雨が降り出す前は、居間と寝室が別の広い宿泊地だった。前面写真は翌朝の風景。雨がやんだので、焚き火を熾こし直して、体を温める。
タープは下で焚き火ができる だからといって雨は歓迎しない
ぽつぽつとタープを叩く雨が、本降りになり、生活も自分もタープの下に避難することになった。燃えさしの薪を並べ、フライパンでホダ火を運べば、焚き火は簡単に移動できる。飯が終わったら早々に寝袋に入った。
03.食べることでその存在を守ることができる
すこし渓を奥に入ると、イワナはそこそこ釣れた。この渓で生きるイワナを絶やさないことが自分たちを生かすことになる。山で山の生き物を食べる食育以上に、自然保護思想を育む教育はない。
イワナは重要な山のタンパク質である
食料現地調達で日本の山を旅する場合、確保の計算が立つイワナがタンパク質の中心になる。食料計画はイワナが基準になると言っても言い過ぎではなく、イワナをいかにうまく食べ続けるかが重要だ。刺身、燻製、一夜干し、ムニエルにもする。
軽量化と効率のバランスが装備を決める
山のものを調達し、利用できるものは利用する。だが、あまりストイックにやりすぎても、効率が悪く、面白みも減る。調理はごついナイフではなく包丁がやりやすく、調味料のバリエーションもほしい。ブッシュクラフトは効率を考えていいとこ取り。