【vol.73】消滅した砂浜と飛び魚

メキシコから八丈に戻ると「浜にある古い漁師小屋を解体するから必要な木材があったら持っていけ」と有難い話がきた。以前は明け方に飛び魚漁を終えた若い衆たちがここへ寄り、酒を飲んで仮眠してから各々家路へと着いたという。2階建ての小屋の中には海の神を祀る立派な神棚が長押にきちんと造られ、五右衛門風呂も設えられるなど、浜の人々が海の恵みを生業としていたことが偲ばれる。

ただ、陸の灯りに集まり、浜からでも網で掬えるほどたくさんいた飛び魚も数が減り、操業する船も少なくなった。島民の大きな収入源だった天草も近年の磯焼けで壊滅してしまったが、以前は集落の商店のツケを干した天草で支払うことができたという。海にある天草を集めれば、誰もが生活必需品を手に入れられる良い時代だった。

今でも浜と呼ばれるこの集落は、島で唯一の砂浜があった場所だ。しかし、高度成長期にコンクリート用の砂を大量に浚渫したため、すっかり砂浜は消滅してしまった。海亀の産卵場所もなくなった今、「昔は海亀の卵が本当にご馳走だったよ」と懐かしそうに漁師小屋の年輩の持ち主は話す。

毎年、夏がはじまると内地からわざわざ船で運んできた大量の砂を、島の中心部にある観光用人工ビーチにばら撒いている。この光景を見るたびに、自然を都合よくコントロールしようとする人間の強欲な性を見せつけられているようで嫌な気持ちになる。

古い家屋は今の建築物のように金物や接着剤がほとんど使われず、手刻みで木材同士を組みあわせているので解体も楽だ。小屋の持ち主は僕が柱を欲しがっているのを知って、なるべく柱は切らないように解体してほしいと業者に頼んでくれたのもありがたかった。たまに道端で解体業者がユンボでバリバリ音を立てながらあっという間に家を解体していくのを見かけると「あーーもったいない。ちょっとまってくれーー、その太い柱だけでも」と声が出そうになる。

ただ、古い家屋には茅葺きの重荷に耐えられるよう山から切り出した立派な梁が使われているが、残念ながらシロアリやキクイムシにやられている場合も多い。昔は山に必ず萱場があって、共同体の普請で集落の茅葺屋根の維持管理はみんなで助け合ってしていたという。

数年前から来客用に6畳ぐらいの小屋を作ろうとぼんやり考えていて、庭の片隅には台風の後に海岸に流れてきた丸太や今まで解体現場から集めてきた木材が山積みになっている。集めた木材がシロアリの餌食になる前に、そろそろ小屋の建築に手をつけないとまずい感じになってきた。僕自身にやる気はあるが、大工仕事が得意ではなく、元来の大雑把な性格もあって必要に迫られてやっている感が強い。

今住んでいる家も、海から拾ってきた玉石の上に床柱がドンとのせてあるだけの八丈島に伝わるシンプルな作りだ。修理のために床下に潜ると、長年の地震の揺れで床柱がずれている場所が多く、家全体も傾いている。現代の建築に求められる気密性やら断熱性、耐震性などからは気持ちいいほどかけ離れ、隙間からはイタチやネズミがよく入り込む。家なんて雨風が凌げれば問題ない。ただ、よく連れ合いが山で車をハデに脱輪させることもあり、地震や巨大台風で家屋が潰れてもすぐ対処できるようにと、大型のジャッキや牽引機といった自力で重量物を動かせる道具は徐々に揃えていくようになった。
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先日、ドキュメンタリー映画のイベントで知り合った映像作家のKと朝まで痛飲し「これから、今まで住んでいたブルーシートハウスに置きっ放しの荷物を引き上げに行く」というので一緒に出向いた。高速道路と公園に挟まれた隠れ家的な片隅には、高床式の木組みをブルーシートで覆った広さ3畳ほどの小屋が数軒立っていた。斜面を利用した小さな畑やドラム缶風呂などが備わり、かなり快適な暮らしをしていてびっくりした。

Kがここに居ついたのは、ひょんなことからこの場所へ遊びに行った折、「住むとこないならここに住んでいいよ」と言われて、実際に住むことになったという。現在、日本を離れてヨーロッパで家族と住んでいるKは、その足で飛行場へ向かうために慌ただしく荷物をまとめ、人懐こい笑顔を浮かべる年配の男性にウイスキーのボトルを渡していた。その「お酒飲みすぎちゃダメですよ」と別れを惜しんでいる様子は「またなー元気でなー」と言った、一期一会のホッコリとした雰囲気だった。

コンクリートジャングルの中で毎日働き、家のローンを返しながら生き続ける人生と、電気がなく、シート1枚で覆われた家に住む人生。都心に乱立する安心安全を謳ったタワーマンションを買っても、一度災害で電気を失えば水さえ出なくなってしまう。スマホがなければ生活が成り立たなくなってしまった現代人の生活は、効率、快適さと引き換えに、生と死の間にあるはずだった行間を失った。当たり前にあるはずだった日常の土台は、あっという間に崩れたようだ。タワマンに住むか? 公園に住むか? どちらが幸せかを比較するのは全くのナンセンスだが、「自由」は金で買えないということだけは確かなようだ。

末期的な腐敗が蔓延した政府は、公的資金を市場に投入して株価を人為的に吊り上げ、税金控除を餌に国民へ賭博の参加を後押しする。一方で、ウクライナや中東の情勢次第では円安でバブル並みに高騰した株価が暴落するかもしれないと、戦争の不条理ではなく己の利益を心配している。

僕たちの生活基盤がアルゴリズムによってデジタル世界に侵食された結果、生きることへの身体性は消失し、血と汗の存在が希薄になるにつれて他者への想像力、共感も失われていった。この潮流こそ、現在の破壊と収奪が繰り返される不均衡な世界を急激に加速させていると感じる。

至近距離から撃たれた冬眠明けのオスのツキノワグマの眼にはまだ光が残っていた。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re :WAR』『Documentary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』『山熊田 YAMAKUMATA』『戦争・記憶』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。