メキシコ滞在中に不覚にもコロナに罹り、しばらく喉の痛みと熱で動けずに悶々とベッドの上で寝転がっていた。山からメキシコシティに戻った時だったので、解熱剤が簡単に買えたのが幸いだった。
前回の撮影時に激しい攻撃を受けた村は反対勢力のカルテルの支配地域になっていた。村がその後どうなったのか自分の目で直接確認したかったが、新たな支配者のカルテルからの許可はおりなかった。彼らは支配地域を拡大するために他勢力との抗争をはじめたばかりでタイミングが悪く、僕が敵対していた組織の撮影をしていたことも知っていて、このままゴリ押しするのはリスクが高いと感じた。また、顔見知りの地元記者の1人が彼らに脅迫され、家族を残してメキシコシティに逃げていたというのもある。
それならゲレロ州の隣にあるミチョアカン州で勢力を伸ばしている新興組織を撮影しようと、仲間のアレハンドロと彼らの支配地域で会う約束までは取り付けたが、こちらも結局は実現せずに足止めを食らう日々が続いた。コロナ明けのボーとした頭で「あーまいったなー」と部屋の隅にある使う機会のないカメラを恨めしげに見つめながら悶々としていると、「ティファナに行けばお前の撮影したいものが見つかるはずだ」とアレハンドロが現地のコンタクトを紹介しくれた。
ティファナは20歳の時、アメリカからバスを乗り継いで徒歩で国境を超えて以来だ。国境沿いには不法入国を防ぐため、トランプ政権時に作られた鉄製の柵と以前からある高い柵の2重に囲まれた、まるでパレスチナの分離壁を思い起こさせる異様な風景が続く。
街にはアメリカから国外退去になって行き場を失った人々やジャンキーが路上に溢れていた。ここにはアメリカからの観光客目当てのカジノやテーブルダンス店があり、そのネオンの光に照らされた大勢の娼婦やドラッグの売人が客待ちをしている。
ティファナはドラッグや武器の密輸の要地であるため、常にいくつものカルテルが抗争を繰り返していて、毎日のように暗殺事件が起きている。今、僕が滞在している安宿のラブホテルのすぐ近くでも、夜間に暗殺事件が起きて何度か撮影に向かった。
多い時には1日で20人以上が暗殺される。欲望と退廃、そして暴力が混在した風景だ。
ちなみに政府と麻薬組織の癒着を指摘した記者たちはすぐに暗殺されてしまう。僕の撮影の手助けをしてくれているアントニオという27歳のメキシコ人記者は、武器密輸の取材中に組織に警察のスパイと疑われて拉致され、4日間監禁された。また、今年に入って政府と麻薬組織の関係を記事に書いたのではと疑われたカメラマンが暗殺された後、アントニオには24時間体制で警察の警護がしばらくついていたという。
「自分は気づかなかったが、以前も家に帰る途中で一緒にいた弟が『見かけない不審な車が停まっていて絶対におかしい』と警察を呼び、車を調べると殺し屋が刃物を隠し持っていた」と話した。
ここで少し話が脱線するが、僕の若い仲間、ドキュメンタリー映像製作者の久保田くんがミャンマーで取材中に拘束されたという一報が入ってきた。残念ながらドキュメンタリー写真は経済的に成立しない絶望的な状況で若い世代はあまりいなくなってしまったが、映像の方はまだみんなやる気に満ちている人が多く、彼らと話しているとなんだか元気をもらえることが多い。
久保田くんもアントニオと同年代だ。2人のタイプは全然違うけれど、社会の不正に対して、彼らが持っているある種の揺るがない潔癖さがどことなく似ている。久保田くんはウクライナ戦争だけに注目が集まり、熱しやすく冷めやすい日本のメディアに対しても憤りを感じていたのだと思う。その対局としてライフワークとして忘れ去られた無辜の民・ミャンマーのロヒンギャ難民や日本の難民問題、森友問題に関わってきた彼の気持ちは痛いほどよく分かる。
今回、彼は運が悪ければ軍に捕まってしまうかもしれないという気持ちでミャンマーに飛び込んでいったのだと思う。現在、仲間たちが彼の解放に向けて動いているが、取材者に対して小泉政権以降は「自己責任」という言葉が一人歩きしてきた。欧米では一般的に思想や政治的立場に関係なく、海外での自国民の遭難に対して最優先で救出に当たる。国家は国民に奉仕するのが当たり前で、そもそも紛争を取材する人間に対して「自己責任」という議論は存在しない。日本のように小さな共同体の中に個人が存在しているわけではなく、社会の中にきちんと確立された個人の自由意志が明確に担保されているからだ。
ミャンマーの人々は自らの存在をかけて「自由」のために闘っている。今、当たり前にあると思う「自由」は先人たちが命懸けで獲得したものだということを忘れがちになってしまう。同調圧力や忖度といった目に見えない圧力に、萎縮していく社会は自ら死に向かっていくことと同じだと思う。久保田くんが日本に無事に帰ってきたら「お疲れ」といってみんなで迎えたいと思う。
亀山 亮
かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。写真集『山熊田 YAMAKUMATA』が2018年2月、『戦争・記憶』(青土社)が2021年8月に刊行された。
宿の近くの幹線道路には殺し屋に頭を撃ち抜かれた男性の死体が横たわっていた。