【vol.63】戦争

寒かった八丈島にもようやく春がやってきた。中年になって味覚が変わったゆえか、ふきのとうの苦味にどハマりし「今しか食べられないのだから」と飽きずに夢中で食べ続けた。今年は寒さが厳しく、焼畑した後にも薪ストーブの灰を頻繁に撒いていたので大根などのアブラナ科作物が豊作で味も良く、切り干し大根や漬物などの保存食をせっせと作った。

シケの合間に海に潜ると、島では珍しい大きなヒラメを浅場で発見。見つけたらこちらのもの。体をビラビラさせて沖の海底へと必死に逃げていくヒラメを全力フィンキックで15mほど一気に潜って追い、エラに狙いを定めてトドメをモリで刺す。全身をヒレのように動かすヒラメは身が薄い割に力が強く、モリがスッポ抜けることもあるのでモリ先ごと掴んで浮上。予想外に大きいヒラメの体が抵抗になって、なかなか浮上できずに息も絶え絶えになった。

血抜きも完璧にできた寒ビラメは冬の冷たい海水により身も締まっていて、シケ続きで獲物が少なかったこともあり余計に嬉しい。近くに住む連れ合いのおばあちゃんも夕食後、「ヒラメとても美味しかった。いい息子を持って幸せだよ」とわざわざ電話をしてくれた。俺のことを孫ではなくて息子の代わりに思っているのか? もしくはヒラメがうますぎてテンションが上がって間違えて言ってしまったのか? 100歳近くになっても自分の歯で肉も魚もバリバリ食べる健啖家のおばあちゃんの発言を少し不思議に思いながら、ともかく美味いものは人を無条件に幸せにすると悟った。どうも魚も野菜も、多分人間も、寒さや厳しい環境に適度にいじめられ鍛えられた方がいい塩梅になるようだ。

ちなみに近々メキシコへ撮影に行く予定だったのだが、現地までの直行便の便数が少なくなって高騰。アメリカ経由でしか安く行けず、ワクチンパスポートが必要なため、周回遅れだがワクチンの予約をした。僕はワクチン不要論も陰謀論も特に信じていないけれど、どうせ人間は死ぬ時は死ぬのだから率先して接種したいとは思わなかっただけだ。ブラックアフリカや一部南米の国では、黄熱病やチフスの予防接種証明書がないと入れない国々がいまだに多い。また、マラリアや眠り病などは有効な予防手段もなく、重症化して死に至ることなど現地では日常の一部だ。だからワクチンを打つことより、ワクチンパスポートもマイナンバーと紐付けられて、国にすべて一元化されて家畜のように管理される方に違和感がある。

ロシアがウクライナへの攻撃を開始すると、ヨーロッパで起きたニュースバリューの高い戦争ゆえ、知り合いのフリーランスの何人かも現地へ向かったようだった。僕はと言えば、メキシコに戻っても撮影していたカルテルの村は敵対勢力に支配され、彼らの居場所は不明だから何を新たに撮影するのか、まったくのノープランだ。とはいえ遊んでばかりもいられないので、そろそろ重い腰をあげて行動することにする。

日本では情報をただ消費しているようなワイドショーで、コメンテーターたちが安全な場所にいながらウクライナについて訳知り顔で語り、ロシア=悪、ウクライナ=正義という単純な紋切り型の構図に当てはめている。問題を矮小化して話す様子にはげんなりする。

今回の戦争報道もイラク、アフガン戦争などの反テロ戦争時のように、勧善懲悪の物語がぶちまけられたプロパガンダ的報道が多くなってきた。国家とそこで生きている人々は分けて考えるべきなのに、人々は記号化されて一方的に敵と味方に分けて色付けされていく。為政者たちはいつの世も陰謀論やテロリストというレッテルを貼り付けて人々の憎悪を煽り、国家への帰属意識を強制して民族や人種、宗教の違いを理由に人類の共同体を分断していく。そして世界は白と黒で二分され、一番大事な、灰色な部分が無視されてしまう。

今回のロシアの侵略を批判している欧米諸国や日本も、自分たちの権益のために今まで第三世界を植民地化して、それに抗する何百万人もの無辜の人々を殺し続けてきた同類だ。

日本政府はロシアによるチェチェンやシリア侵攻の際は対岸の火事として無視してきた。そしてクルド人のデニズ(vol・59「オリンピックの光と陰」を参照)のように、戦火から逃れて来た難民を入管に長期収容して弾圧してきた。それにも関わらず、今回は欧米の顔色を窺って自分たちの都合の良い人権や経済の規範を定義したダブルスタンダードで、ウクライナまで難民支援の特別機を出した。

先進国は世界に武器を輸出し、戦争をビジネスにしてきた。ウクライナや近隣諸国もソ連崩壊時には、子供でも簡単に使えるカラシニコフなどの武器をダイヤモンドの資源を巡って紛争が起きたリベリアやシエラレオネなどのアフリカ諸国にばら撒いてきた。そして紛争ダイヤモンドは第三国を経由して加工され、消費国のアメリカや日本、中国などに送られてきた。

歴史は過去と現在の連続性で成り立っている。暴力の渦に巻き込まれたら死が訪れるまで途中下車はできない。戦争の終わりを見ることができるのは死者だけだ。

あらゆる種類の暴力が凝縮した戦争では多くの若者が戦場に駆り出され、国家によってお墨付きを与えられた合法的な大規模殺人が起きる。どんな戦争でも唯一共通しているのは社会的弱者が一番はじめに犠牲になっていくことだ。「正義の戦争」は決して存在しない。

2003年リベリア/迫撃砲の直撃を受けた負傷者を病院に運ぶ避難民。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。写真集『山熊田 YAMAKUMATA』が2018年2月、『戦争・記憶』(青土社)が2021年8月に刊行された。