【vol.59】オリンピックの光と陰

オリンピック開催中の東京ではコロナ感染者数が過去最高になった。人々の政府への不満は暴発寸前まで膨れ上がり、政府が掲げるSDGsや多様性、国民の命が最優先といった綺麗事ばかりのお題目の化けの皮は剥がれた。

2011年、福島の原発が爆発した直後、防毒マスクの中で自分の呼吸音だけが不気味に響くゴーストタウン化した街並みをはじめて見た時、日本社会の有り様がようやく根幹から変わる時が来るのではという淡い期待を持った。一方で、もしそれさえ実現できないのならば、日本は破壊と力の支配が蔓延したディストピアの道へ突き進んでしまうのではとも思った。

そして結果は承知の通り。現実は被災地の海岸線を巨大なコンクリートの防潮堤で囲ったのみで原発再稼働を目指し、福島復興と銘打ったオリンピック招致で「原発はアンダーコントロール」と世界に向かってうそぶいただけだった。加えて絶対得票率が2割程度しかない政党が5割以上の議席を獲得し、特権階級が国家を私物化した強権政治が再び復活した。

彼らは公的資金を使って市中に金をばら撒き、意図的に株価を引き上げて実態経済とはかけ離れたバブルを作り出した。「新自由主義」という名の下で弱肉強食を推し進め、全体主義と格差社会は日本に深く浸透し、人々の分断がさらに深刻化した。この不寛容な社会は、太平洋戦争前夜の状況と酷似している。

2015年頃から政府はオリンピック開催時に混乱が起きないようにという名目で、難民申請をしている外国人に対して長期収容を強いた。トルコから日本にやってきたクルド人のデニズ(42)は茨城県牛久にある入管施設に複数回、最長で3年2ヶ月に渡り収容されていたが、コロナ感染症の対策で昨年一時仮放免された。

クルド人は国家を持たない民族で、トルコでも長年に渡り迫害され、以前は母国語を喋ることさえ許されていなかった。デニズの父親の故郷はトルコ軍によって破壊され、多くの同胞が虐殺された。そんなクルド人だからか、デニズは10年前に日本人女性と結婚した後も日本滞在を認められていない。

彼は入管収容中に大量の睡眠薬を処方され、自殺未遂を繰り返した。「長期収容されている人の多くが睡眠薬中毒だ」とデニズは言う。そして、そんな待遇の改善を求めてハンガーストライキを起こす度に、入管は彼が死んで責任を問われるのを恐れて2週間の仮放免を認める。2週間後に再び入管に訪問すると「何でまた馬鹿正直に戻ってきたんだ? 逃げればいいのに」と入管職員はおかしそうに話すという。

「自分は何も悪いことをしていない、ただ難民として日本での滞在をきちんと認めてほしい。だから自分は収監されに戻るんだ」とデニズは言った。

外国人実習制度ができる前の90年代、政府や警察は不足する労働力の担い手として彼らが日本で働くことを黙認していた。しかし、現在の日本政府による難民認定率は0.5%未満で、毎年40人程度の難民しか受け入れていない。無論、今までトルコ出身のクルド人が難民認定を受けたことはない。

20年間、手弁当で彼らを支援してきた大橋毅弁護士は「今まで200、300件と関わってきた難民申請だが、認定の基準すらも明確になっていない。つい最近、自分が受け持ったケースの中ではじめて難民認定された人がいたが、その認定理由もまったくわからない。政治的な思惑や入管による裁量が強すぎる」と話す。

デニズは牛久入管で職員による暴行を受け、その映像がメディアに流れて大きな問題となった。デニズが後ろ手に手錠をかけられ、首を絞められながら大勢の職員に取り押さえられる様子は、アメリカ国内で大きな社会運動となった白人警官たちが黒人男性を押さえつけて殺した構造と重なる。

長崎県大村入管ではハンガーストライキをしたナイジェリア人男性が飢餓死、また愛知県名古屋入管ではスリランカ人女性ウィシュマさんが適切な医療を受けられずに衰弱死した。これらの事件は国会でも大きな問題となって入管法の改正が直前で延期された。

デニズは家の近く公園で夜中に睡眠薬を大量服薬して、再び自殺未遂を起こした。自分でもその時のことはよく覚えていないという。国民健康保険に入れない彼は医療費も莫大なものになる。もちろん就労はできない。移動ができるのは自分が住んでいる東京都内のみだ。

入管から一時放免されても、身寄りのない難民たちは着の身着のまま路上に押し出される。放免後は、またいつ収監されるか分からない恐怖の中で彼らの生活は続いていく。オリンピックやインバウンドで増加する訪日外国人に対し、国をあげての「おもてなし」というスローガンは悪い冗談にしか聞こえない。

「海で泳ぎたい」というデニズに、僕の住んでいる八丈島も東京都内だから、ともかく島の綺麗な海へ泳ぎに行こうと約束した。

福島第一原発20km圏内の境界線で検問をする若い警察官。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。