【vol.57】沖縄と戦争・集団

76年前の3月末、沖縄戦で米軍が初上陸したのは沖縄本島からおよそ40キロ離れた慶良間諸島だった。小さな島々に圧倒的な軍事力を持つ米軍が上陸をはじめると、住民たちは日本軍から米軍の捕虜になることを禁止され、戦闘の邪魔になると追いやられた。

日本軍から玉砕用に住民へ配られた手榴弾の多くは不発で、パニックとなった女性や子供、老人たちは避難先の山中で次々とロープや木の枝、カミソリ、鍬やカマ、あらゆるものを使って自らの手で家族同士の命を奪い合う壮絶な集団自決(集団死)が起きた。

米軍上陸に備えて日本軍は慶良間の島々にベニヤで作られた特攻艇を配備し、秘密保持を理由に住民に対して強権的な支配体制を築いていた。そんな日本軍の隊長たちは米軍の捕虜になった住民をスパイ容疑で殺害していたにも関わらず、米軍の捕虜となって全員が生き残った。

毎年この時期になると現地の慰霊祭に通っていたので、集団自決の生き残りの人たちに色々なことを聞いた。それぞれの物語が慶良間の群青の海の波間に浮き沈むように、僕の眼裏に浮かんでは消えていく。

取材を始めてから6年、話を聞かせてもらった数人の方は鬼籍に入ってしまった。体験者たちは自決があった3月のあの日が近づいてくると、今でも眠れない日々が続くと話していた。

76年前というと気が遠くなるような昔の話のようだが、今なお存命している体験者たちと話していると、戦争によって人生を強制的に変えられてしまった激烈な当時の記憶が昨日の出来事のように新鮮な体験として、いまだ彼らの肉体の中で生き続けていることがわかる。

先日、友人が制作したドキュメンタリーを見る機会があった。森友学園の土地取得に際し、政治主導の組織的な忖度と同調圧力に巻き込まれ、書類改竄を強いられて自殺した財務省職員赤木俊夫さんにまつわる作品だ。

その中で、「夫はいつも周りの目を気にしていた」と妻の雅子さんは話していた。「もう俺は死ななくてはいけない。お前も一緒に行くか?」と絶望に満ち、死の世界にすでに半身を浸しているような形相の赤木俊夫さんを必死の思いで止めようとしている雅子さんの様子も、彼女の携帯が捉えていた。これは僕の父が会社とのトラブルで自殺した出来事と重なり胸が痛かった。

特に日本では、各々が属する世間の下に個人が存在し、物事の善悪や情報の正誤に関わらず、その小さな共同体から外れることが死に直結する。それは死ななくてよかった沖縄の市井の人々の姿と構造的に変わらない。`

憲法を改正して再び戦争ができる国を目指す安倍晋三元首相の祖父・岸信介は、僕が撮影しているメキシコのマフィアと政府の関係と同じく、満州のアヘン取引で得た莫大な利益で関東軍に資金供与をしていたというA級戦犯だった。しかし、アメリカの占領政策の転換で釈放され、「昭和の妖怪」と呼ばれて再び権力の中枢に返り咲いた。これこそ国家が主体となった戦争や暴力だけが正当化され、それ以外の主体が異を唱えることは決して許されないことを表している。

赤木さんの葬式の席で彼の上司たちは、改竄の経緯が記された彼のメモの所在ばかりを気にしていた。「マスコミに赤木さんは殺されたのだから」と、雅子さんにメディアへの口止めを執拗に要求していたという。

政治を私物化した為政者は証拠を揉み消すことで社会から責任を問われることがない。ファシズムが台頭したドイツで旧ナチ指導者たちが再び国の権力を担うということは決して起きなかったが、日本では戦争責任の所在をきちんと明確にすることもなく、長いものに巻かれろとばかりに過去の歴史を振り返えろうともせず、今なお戦前の支配体制の世襲が続いている。

匿名性が担保されたネット社会では、社会的に追い込まれた弱者を死に追いやるほど攻撃したり、国籍や民族の出自を理由にした排外的な発言をしたりする風潮も増えた。ゆえに前述の赤木雅子さんもメディアに顔出しができない。

戦争やコロナ禍のように強度に制約された生活の中で、集団は見えない不確かな恐怖に怯え、外部の刺激に過敏に反応して自分たちが信じたいものだけを信じていく。古くは五人組制度から続く相互監視や連帯責任、「みんなで渡れば怖くない赤信号」といった日本人特有の集団行動形態は、大量のイワシが浜に打ち上げられ、最期は死に絶えてしまう様子を連想させる。

戦中は熱心な軍国少年で「周りで先に死んでいる人たちが羨ましかった」と話し、自らも家族に手をかけ、戦後は自責の念に苦しみながら牧師となったある集団自決体験者の著作の中には、当時の気持ちがこう記してある。

──人間は死の恐怖に直面した時、生きたいという生への本能的欲求が強烈に働きます。しかし生がより恐ろしい容貌を帯びてくる時、死に救いを求めるものです。キルケゴールが死に至る病の中で語っている次の言葉を思い起こします。「死が最大の危険である時、人は生きることをこいねがう。しかしさらに恐るべき危険を学び知るとき人は死を願う」──

渡嘉敷島。白玉之塔にある慰霊碑には犠牲になった人々の名前が刻まれている。(住民368柱、日本軍人76柱、軍属87柱、防衛隊41柱)

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine:Intifada』『Re:WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。