【Vol.51】雑踏のテーマパークより身近な森でひっそり遊ぶー森林道楽ー

人がいない 場所こそ最高の遊び場

いま地球に何か特別なことが起こっているかと問えば、平常運転である。今日も今日とて、地球に暮らす生物は環境プレッシャーに晒されている。飛行機を作って世界中を飛び回ってみたり、森を潰してビルを建ててみたりしている人類も例外ではない。この世はそんな所業すらヒトの生態として許容し、生物同士互いに影響されてテリトリーを広げたり追われたりしているだけなのだ(今はヒトのグローバリゼーションを巧みに利用したウイルスが優勢か)。まるで釈迦(環境)の手の上で図に乗る孫悟空(人類)のような話だが、どこにいようと様々な理由で、我々は環境の強大な力から逃れられないのである。

というわけで、今回はこれからの遊び場について考えてみたい。果たして文明が及ばずに危険と目されがちな森林は、安心安全を謳う人気テーマパークより遊び場として不適切なのか? どこにいても環境の強大な力に支配されるなら、今のところ自身の知恵と技術で危険を制御できる遊び場・森林に再注目したい。

文/服部文祥 写真/亀田正人

北海道徒歩旅行に関する前回までのあらすじ

昨年の一〇月一日から一一月二五日までの五六日間(八週間)、一秒たりとも日和ることなく、どっぷりと北海道の森で遊んだ。財布を持たず、猟銃を肩に北海道の南北分水嶺を徒歩旅行したのである。本誌でも少し紹介した。

肉以外の食料をルート上の三ヶ所に保管しておき、三週間ごとにデポ食料を回収して、一二週間旅を続けられるはずだった。

一日分の米は四〇〇グラム(約二合五勺)としている。三週間分は八キロ強。これに鉄砲と弾と他の装備を加えると全重量は三〇キロを越える。兵隊が身体能力を充分に発揮しながら長期行軍できる荷の重量は体重の三~四割という。この数値は人種や時代に左右されない。三〇キロ超では私の体重の五割になって、目的が旅から荷物運びに変わってしまう。

できるだけ荷物を減らすべく、米の量を三週間で七・五キロ(二・五キロを三袋)にした。足りなくなったらイヌイットのようにケモノ肉を食べればいい。

安易にそう考えて出発し、そのあげく、旅の後半で米が足りなくなるという憂き目に遭った。二ヶ所目のデポ回収直後に行程が厳しくなることがわかっていたので、デポの一部を保管地に残したというのも、足りない状況に拍車をかけてしまった。

これまでの人生で穀物を食べ続けてきたからだと思われるが、穀類の代わりに肉を食べるというのは、身体的に現実的ではなかった。毎日のように長距離を歩くためか、すぐにエネルギーに変わる穀類を体が求めてついつい消費してしまう。二ヶ所目の保管地に食料の一部を置いてきたのに、三ヶ所目の保管地では私のデポとは別に置いてあった避難小屋の非常食に手を出してしまった。その非常食は同等の料金を料金箱に納めれば食べてもよいという小屋の備品だったが、私は財布を持っていなかった。

非常食を食べながら、春にまた遊びにきて、その時補充すればいいと考えていた。未来の自分に借金するということになり、財布を持たないという旅の意味が薄れてしまうが、このあたりが現実的な落としどころと納得することにした。春に遊びにくる言い訳にもなる。

ちなみに非常食には、オレオやフリッツといった味がついているものが多く、あまり触手が動かなかった。レトルトカレーも一袋食べてみたが美味しくない。モチやシンプルなクラッカーが美味しかった。

いくつかの思惑とともに今年もケモノランドへ

新型コロナウイルスの感染拡大がじわじわと広がっていた。例年なら本州の猟納めである三月一五日以降に、三月末まで猟ができる北海道に出かける。今年は月末に予定があり、本州の猟期最終日をあきらめて、北海道に飛んだ。

旅の目的には、猟をしながら森で遊ぶことに加えて、非常食の補充と残してきたデポの回収も含まれている。

三月の日高周辺の獲物のデータはまだそれほど蓄積されていない。それでも、新しいゲストがいたほうが旅はより面白いかと思い、ソーヨー(59ページ参照)を誘ってみた。土間叩きのときは、獲物を狩る瞬間を見せられなかったので、北海道でという目論見である。

日高南部森林管理署の情報では林道が閉鎖され、徒歩三〇キロということだったが、森の中のゲートまでなんとか車で入ることができた。

翌朝、念のためにスノーシューを持って山の中の避難小屋へ向かった。春の冷たい雨が降っていた。沢も増水している。峠越えの踏み跡は雪に埋まり、スノーシューを履いたまま沢登りになった。ソーヨーはもちろんはじめての沢登りだ。

避難小屋に近づいたところで鹿が走ったが、補充する非常食と今回の滞在分の食料を背負って、ずっとラッセルを続けてきた疲労に加え、雨も降っていて、ザックに括り付けている猟銃を取り出す気がしなかった。

小屋について、薪ストーブに火をつけ、チャイを淹れ、一息ついてから短時間昼寝。夕方にちょっと散歩に出るが、遠くにいる牡鹿を撃ち漏らして入山日は終わった。

予定調和なきケモノとの駆け引き

翌朝も朝一でナツと散歩に出る。鹿は積雪の影響で標高の低いところに降りているようだ。南斜面の上のほうを群れが駆けていくのを確認しただけで、撃つことはできなかった。
カメダとソーヨーは暖かくなった頃合いにニジマスを狙いにダム湖に行くという。私は鹿の群れが登っていった南斜面に逆側からアプローチしてみることにした。

作業道をゆっくり登って、トラバースを開始。日向の斜面には鹿の寝屋がたくさんあり、アンモニア臭は私の鼻でもわかる。ナツは興奮してリードを引く。

遠くに親子の鹿。こちらが藪を踏む音ですでに跳んでいる。樹の向こうで止まったので、座って撃った。鹿が反転し斜面を駆け下りていった。

「止まった」と思い、ナツを放す。

だが、立っていたところに行っても鹿はいなかった。血痕が少しだけ雪面に残っている。ナツは鹿を追っていったようだ。私もしばらく追ってみたが、乏しい血痕は斜面を登っている。血の色と量を考えると、回収できない可能性が高い。

「やってしまった……」

肉がないのに半矢。ものすごく後味が悪く、胸の奥に黒灰色のモヤモヤが溜まっていく感じがする。斜面を降りて振り出しに戻り、同じようにもう一度ぐるっと南斜面の上に回り込む。ナツはいない。

久しぶりに完全な単独猟だ。雪とササヤブの南斜面を適当にトラバースして、ゆっくり降りていく。遠くに鹿が走るのが見える。南斜面には鹿がたくさん入っているが、距離が遠く、藪が邪魔して撃つことができない。遠くの鹿が立ち止まった。若い雄に見える。構える。銃座が欲しい。だが、こちらが動いたら気取られる。

しかたなく立射で撃つ。その銃声に驚いて、別の親子が藪から跳び出した。立ち止まれば射程内だ。レバーを操作して次弾を送り込み、ようすを窺うが、樹の向こうへ消えてしまった。

撃った若い雄は? 混乱したまま雄鹿のいたあたりに行くが、親子に気を取られてしまったので場所がよくわからない。どうやら血も引いていない。遠くて立射だったものの、当たっているような気がするのだが……。

鹿はそこそこいるのに、こちらの間合いで出会えないので猟のリズムに乗れない。獲れないとき特有のモヤモヤした空気が漂っている。

それでも気持ちを奮い起こして、もう一周南斜面を回った。だが鹿には出会えなかった。

森の想定外は良い方向にも働く

小屋に戻ると、カメダとソーヨーが先に戻っていた。ナツもいる。二人を見つけて、いっしょにいたらしい。ダム湖は二年前に来た時以上に水が少なく、まったく釣れなかったという。ソーヨーがエゾアカガエルを二匹持って帰ってきた。わざわざ食べるほどの肉はついていないが、サバイバル的な雰囲気を体感するために皮を剥いて焼く。

ほんの少しの肉を前歯で齧ると、逆に鹿肉の不在を意識させられた。北海道の日高まで来て鹿肉なしの日々を過ごさなくてはならないとは……。たまらず、夕方にも周辺を歩き回るが、獲物はいなかった。

翌朝、もう一度南斜面を下から覗きにいく。足元の雪の上には無数の足跡が残っている。鹿が夜中にパーティでもしているかのようだ。一頭くらい酔いつぶれていびきをかいていても良さそうだが、気配はない。

あとでもう一度、気持ちを入れ直して南斜面を歩いてみたほうが可能性が高そうだ。小屋に戻ろうと思ったが、ナツに引かれて森の外れへ。ナツが気にしているものを見て、息を飲んだ。

灌木の間の雪の上に鹿が倒れていた。鬼角(一本角)だった。覗きこむと凍った目がまだみずみずしい。周辺を見渡す。昨日、雄鹿を撃った場所に近い。その撃った鹿と考えるのが自然だろう。角を持って持ち上げると銃弾が肺を貫いていた。

なぜ昨日見つけられなかったんだ……。銃創が肺なので、血抜きはできているのが救いとはいえ、肉は傷んでしまったはずだ。

一旦小屋に戻り、二人に「面白いことがあった。なんだと思う」と聞いてみた。

「半矢の鹿が倒れていた」とソーヨーが即答した。なんで解ったの?

みんなで回収し、そのまま解体。やはり内臓周辺の肉には臭いが移っていた。モモ、背ロース、ムネ肉などを取って食べる。ソーヨーは骨格標本を造るという。ようやく獲物三昧の時間がやってきた。

翌日下山し、二ヶ所目のデポ地へスノーハイキング。残していたデポを回収し、秋の長期徒歩旅行の後始末が終わった。

山を知り尽くした男・服部文祥は自然の恵みを美味しくいただく

-森の遊び方-[森の獲物遊び]

その登山スタイルから、食料を調達できる森林とは
切っても切れない関係を続けてきた服部。
環境から与えられる様々なミッションをこなしながら悪場を越え、
食料を採取し、ゴール(山頂)を目指すサバイバル行為は、
言わば種を維持するための本能的アトラクションである。
今回も例年通り北海道を訪れた服部だが、
視点を変えればこれもディ○ニーランドならぬ
“ケモノランド”で遊ぶ人間の話。
いつかは体験してみたい森遊びの良き手本である。

コロナの影響が強まる前だったが、空港も飛行機も人はまばら。人との接触が感染の要因だとすれば、洗練されているはずの都会は危険な汚染地帯、野蛮でリスキーなはずの森が、食料もある清浄安全空間になる。

積雪と雪による崩落で、ゲートの先は通行不能になっていた。新千歳空港から車で4時間、そこから徒歩で6時間で山中の避難小屋(無人解放小屋)へ至る。

森遊び01<アウトドア・ チャパティ作り>

小麦粉と少量の塩を練ってなんらかの金属板の上で焼く。酵母を少し入れれば風味が増す。小麦粉、水、鉄板があればすぐできるため、ヒマラヤの民や遊牧民などが時代を超えて食べ続けている。全地球的にアウトドア料理の定番中の定番。

歩く狼はエサにありつく。納得しにくい猟の結末

鹿を追いかけて私を見失うこと数時間。仲間とともに先に小屋に帰っていた。私が帰ると、ものすごく気まずそうな顔をしていた。

森遊び02<現地食材調達>

森の楽しみは調達食料の調理。そしてケモノの解体は調理の一部である。難しいことはなく、哺乳類の身体構造や銃弾の威力などを知りながら、作業できる。

森遊び03<骨格 標本造り>

森の山小屋に薪ストーブがあれば、骨格標本作りができる。長時間茹でて、肉を削ぎ落とすだけ。一本角の鹿を骨格標本にすると、まるでオニのドクロになる。幼い子どもへのお土産にはなかなかのインパクトだ。

森の取得物01<エゾシカ肉の味噌煮ほか>

北海道の狩猟登山中はずっと薪ストーブに載っている定番料理。腹が減ったときに自由に食べる。脂の多いムネ肉で作るとより旨く、体もぽかぽかになる。ムネ肉が尽きたら、スジ肉にする。薪ストーブの遠赤外線なら小一時間で柔らかくなるが、ガスコンロでやる場合は時間がかかる。

タンは新鮮なほうが柔らかくて美味しい。ネギがあれば薬味としてたっぷり載せる。背ロースは腹から遠い肩側は刺身で美味しく食べられた。腰側はやや消化器官の臭いが移っていて、ステーキにした。

森の取得物02<獣脂(エゾシカ)>

モンベルのアルパイン2000は本革の登山靴。北海道で鹿が獲れたら、その脂を塗るとよい。脂身をフライパンなどで炙って、脂を抽出して塗る。靴を薪ストーブや焚火で温め、脂を染み込ませるのがコツ。靴を燃やさないように注意。

森の取得物03<極上の薬味 (フキノトウ)>

秋から春まで斜面の方角を考えて探すことで、北海道では長い期間フキノトウが楽しめる。春先は日当りの良い雪の消えた斜面を探せば見つかる。

森の取得物04<おつまみ(エゾアカガエル)>

私が獲物を獲ってこないので若者がカエルを捕ってきた。皮に毒のある種もいるので、皮を剥いて内臓を出して調理する。味はおいしい。食べ応えがないのが難点。

森遊び04<スノーシュー散歩>

牧場の奥にある森の、そのまた奥にある避難小屋に残してきたデポを回収に行く。雪面はバリズボ状態のため、スノーシューがその威力を発揮した。雪に埋まった森の散歩。