今年のはじめ、以前から撮影していた新潟県山熊田で久し振りにクマ狩りに同行した。今回はみんなで山に入ってクマを追い込む巻狩りではなく、冬眠中のクマを獲る穴熊狩り。クマが寝ている穴さえ見つけることができれば、ほぼ確実に獲れるという。
数年前に1度穴熊狩りに参加した時は深い雪に四苦八苦した。高校以来使っていなかったカンジキはすぐに靴から外れてしまい役に立たず、山の斜面を藪漕ぎしている最中に滑って撮影済みのフィルムを谷に落としてしまった。数年前にホームセンターで買ったスパイク長靴も経年劣化で穴が開き、沢を渡るたびに足が痺れて指先の感覚がなくなっていくという惨めなものだった。
穴熊狩りは木に大きな洞が開いているものや中心が腐って空洞状になっている、いかにもクマが好んで入りそうな木を山の斜面を丹念に歩きながら探していく。ただ、クマが冬眠できそうなくらい太く、かつそこに穴が開いているという条件の揃った木は、山全体を通して探してみてもとても少なかった。斜面に穴を掘って冬眠するクマもいるというが、入り口は雪に埋まっていることが多くて探すのは難しい。
結局、深雪にやられた前回の穴熊狩りでは冬山を歩き回っても穴熊を見つけることができなかったので、今年がそのリベンジというわけだ。久しぶりに山熊田へ連絡してみると、山に雪が全くないという。
山熊田に着いて婆ちゃんらと話すと、「今年は屋根の雪下ろしを1回もせずに済むかも」「んだ。冬なのにこんなにも雪が降らないのははじめてだ」と口をそろえて話す。いつもあるはずの大量の白い雪が全くないというのはかなり異様な光景だ。「雪がないと夏は水不足になるかもしれない」と話す人も多かった。
僕の住んでいる八丈島も12月でも半袖で過ごせるほどの天候不順で、畑に冬野菜の種を蒔いても育たなかった。たとえ芽が出ても、いつもは寒くなるといなくなるナメクジや夜盗虫が一晩で食べつくしてしまう。年初めにメキシコへ長期撮影に行くので連れ合いの分だけでもと種を蒔き直したが、「野菜は全滅だ」とメキシコ取材中の僕に連絡が来た。農薬をかけず肥料もあまりやらない適当な畑でも、いつも自分たちが食べる分ぐらいはできていた野菜が全くできなかったのは移住してからはじめてだった。
八丈の海も水温が上がり、海藻が激減して珊瑚が増えてきている。連れ合いの父親が言うには、子供の頃は海藻だらけで遠くから見ると海が黒く見えたという。海藻を餌にしていたとこぶしはカンヅメ工場ができるほどいたというが、今はほとんど見当たらなくなってしまった。クサヤの原料にもなるムロアジも、子供でもドラム缶一杯に釣れたという話が今ではバケツ一杯ほどだ。集落で干す場所が無くなるほど獲れたところてんの材料、天草も同時期から全く取れなくなってしまったという。
それを機に多くの人たちが海と関わりのある仕事を諦めて、陸の仕事に移っていった。僕の住んでいる集落の最後の漁師Nさんも、残念ながら2年前に廃業してしまった。島に来た当初、黒潮に巻き込まれないようおっかなびっくり泳いでいた僕に「魚は突けたか? あの先を超えると急に潮が速くなるから気をつけろよ」と、船からよく声をかけてくれていた。
島にはじめて遊びに行った高校生のとき、緊張しながら港にいたNさんに声をかけ、彼の船に乗って写真を撮らせてもらったのが強く印象に残っている。そして帰りしな、ぶっきらぼうに「これ持っていけ!」と白いTシャツにくるんだ獲れたばかりの伊勢海老をくれたことも。
昨年の大しけで船体が傾き、穴が空いたNさんの船を見るたびに今の島の現状を体現しているように感じる。島の多くの漁師たちは沿岸ではなく、より遠くの沖に出かけて深海に棲む金目鯛などの高級魚を狙うようになった。その金目鯛も今ではより沖へ沖へ行かないと釣れなくなってしまったと、漁師たちは話す。
ちなみに、今年の穴熊狩りは雪がなく、山の奥深くに入れたこともあって2日間連続で穴熊が獲れた。雪の代わりに冷たい雨に濡れながら沢にクマを落として、みんなで引きずって麓まで運ぶ。いつも見慣れていた白い雪の上に黒いクマという白黒のコントラストが覆され、土の上で黒い毛皮をびっしょりと濡らして生き絶えたクマの姿を見ていると、体の奥底がぐっと押し込まれたように寂しく感じ、そしてシンシンと白い雪が降る光景がとても懐かしく思えた。
取材中のメキシコ・ゲレロ州の山から首都に戻ってくると、アメリカのコロナ感染が激増し、アメリカとの国境が閉鎖された。そして一気に街から人々の姿が消えた。
僕がアジア人だとわかると、あからさまに口を塞ぐ人や「オレとの距離をあけろ」と叫ぶ人を見て、苦笑しながら映画の世界が現実になってしまったなと頭の中がグラグラしながら思った。
コロナもインフルエンザやエボラのように温暖化や開発による森の侵食で住処を追われた動物のウイルスが人間に感染した可能性が高いと言われている。人々が病原菌に怯えてパニックになっていく様子は、グローバリゼーションの行き着く先を見ているような気がする。
日常の凡庸な時間から突然やってくる死の恐怖が日常になると、埋没していた人間のメッキが剥がれ、各々の感情がダイレクトに表出していく様は、戦争に巻き込まれた人々のリアクションと酷似している。
今回、1点違うのは戦争では絶対に存在する被害者と加害者という隔たりがなく、すべての人たちが同一線上にいるということだと思う。ウイルスは政治家だからとか金持ちだからという区別はしない。
けれど、混乱は出自による差別、またデマや不信感が憎悪を増幅し、人々を分断する。そして経済的に持つものと持たざるものとの乖離は激しくなっていく。アメリカでは、国外退去を恐れてコロナの検査を受けられない不法移民の人たちも多いという。
残念ながら現在の日本は、アメリカと同じく戦後体制の中で最も権力が腐敗し、政治が為政者によって私物化されてしまった。福島の原発被害を舌の根が乾かないうちに復興のシンボルとして、国威掲揚の材料と利用したオリンピックはコロナで開催が延期になった。これは1940年、政治と軍部が暴走し、日中戦争が原因で日本でのオリンピックが中止になった経緯と重なる。
君が風を買うことはできない
君が太陽を買うことはできない
君が雨を買うことはできない
君が私の喜びを買うことはできない
君が私の痛みを買うことはできない
君が私の命を買うことはできない
私の大地は売り物ではない
レゲトンの雄・Calle 13が、ラテンアメリカで連綿と続く収奪の歴史を描いた曲「Latino América」の地の底から滲み出たようなフレーズが頭の中をグルグルと駆け巡る。
亀山 亮
かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine:Intifada』『Re:WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。
山に雪がない。