【vol.49】メキシコ・ マフィア国家。「日常の 生と死。」

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現在のメキシコでは水が砂に染み込むように、社会の隅々に暴力が浸透し、日常生活の中に生と死が密接に同居している。麻薬カルテルと政治腐敗、そしてグローバリズムは社会を利益と効率という名目で分断し、特権階級以外の市井の人たちは暴力の波に飲み込まれていく。

写真・文/亀山亮


 

ーラテンアメリカの洗礼ー

閉塞感を感じていた日本から早く脱出しなければと、20歳の時に土方仕事で貯めた1万ドルの現金と200本のフィルム、カメラを担いで外へ飛び出した。そして行き当たりばったりの、はじめての海外で辿り着いたのがメキシコだった。90年代半ば、当時はインターネットも携帯電話も黎明期で、世の中は穏やかなアナログの時代がまだ続いていた。

スペイン語が全く話せなかったせいもあるけれど、何をするにも躓いてばかりで、手紙を出しに郵便局を探すだけで1日が終わってしまうような長閑な旅だった。当時のメキシコはマフィアの抗争はあっても、現在のように無差別に市民を巻き込んだ凄惨な抗争はなかった。それよりもメキシコ以南、中南米の方が冷戦時代の米ソの代理戦争によって起きた激しい内戦で、多くの無辜の人々が殺されたという暗い影を引きずっていた。

無法地帯となった町で兵士たちが若い男を逮捕し、身分証明書がないというだけでその場でゲリラと決めつけ銃殺する。

郊外のゴミ捨て場に打ち捨てられた行方不明者の累々たる死体。

オリバー・ストーン監督の映画「サルバドル・遥かなる日々(※)」を何度も繰り返し観ていたせいで、僕の中で中米は恐ろしいというイメージが出来上がっていたこともあり、街を歩いているといつも人々の視線を感じ、日本にいた時みたいにボ~ッとしていたらやられてしまうという緊張感があった。実際に隣国のグアテマラでは、夜の検問で興奮気味の警官たちに無理矢理カツアゲされたことがあった。

また、一瞬目を離した隙に近くに置いていた友人たちのバックパックが奪われそうになったこともあった。若い男2人組の泥棒のうち1人を何とか捕まえたが、怒りに任せてTシャツの胸ぐらを強く掴むと、男は器用にシャツを脱ぎ捨てて一瞬で走り去ったのには舌を巻いた。その間にも、片割れの男は仲間のバックパックを持って逃げ去ってしまった。

「あーもうダメだな」。土地勘もない自分がこれ以上探しても無理だろうと諦めかけていた時、「こっちだ」と地元のおじさんが逃げた犯人の方向を教えてくれた。道の曲がり角があるたびにおじさんはあまりスペイン語が喋れない僕に代わって「男はどこに行った?」と尋ねてくれた。「あっちだー」とか「あっちだよー」とか、薄暗い市場の混雑した中をみんなが指差す方向へ夢中になって走り抜け、大きな道に出たところで男がバスへ乗り込むところを運良く見つけることができた。

バスに駆け込んでバックパックを取り返した途端、騒ぎを聞きつけ興奮した群衆がバスの窓から犯人の髪の毛を引っ張って外に引きずり出そうとした。バスの中にもナイフを持った男がやってきて泥棒のシャツをめくり、致命傷にならない程度で罰を与えるかのように腹の肉を少しずつ切りつけていた。

自分とあまり年の変わらない若い男が半狂乱になって泣き叫んでいる姿を見て、哀れだった。そこまで自分は望んでいないのに。

友人のバックパックさえ戻れば問題ない。もうヤメてくれと中に入ろうとすると、興奮した群衆はなぜか僕の方にも指を差して怒りはじめた。肩で息をしながら追いついた道案内のおじさんは騒ぎの様子を見て驚き、「もう行こう」と僕をバスの外へ押し出してくれた。

それ以後、僕は金物屋で長い鎖と南京錠を買ってどんな時でもバックパックには鍵をつけておくようになり、しばらく一緒に旅をした友人も護身用にヌンチャクを持って出歩くようになった。ボルテージに到達するまでの沸点が早くて、いとも簡単に状況が白黒反転するラテンアメリカの洗礼を受けた。それと同時に、圧倒的な貧富の差を生きている彼らからしたら、自分たちの存在など金持ちの国から来たろくに苦労も知らない道楽者と映っても仕方がないなと苦い気持ちになった。

ーグローバリゼーションの影ー

グアテマラで数ヶ月間、最低限のスペイン語を覚えた後はメキシコ南部のチアパス州、サパティスタ民族解放軍の村に入って撮影することにした。サパティスタは抑圧され続けていたチアパス州の先住民が権利獲得のため、NAFTA・北米自由貿易協定発効に合わせて1994年にグアテマラ国境付近にあるラカンドンの密林から武装蜂起した集団だ。彼らの蜂起は軍事的には脆弱なものだったが、次第にメキシコ社会の根幹的な歪みに対する問題提起、政治腐敗や特権階級への富の集中、世界で同時多発的に起こりはじめた反グロバリゼーションのアイコンとなっていった。そしてメキシコ政府も世界の関心が集まるにつれ、彼らのことを秘密裏に抹殺することができなくなっていった。

ちなみに、この北米自由貿易協定によってカナダ・アメリカ・メキシコの3カ国の輸出入は無関税となり、国境の物流は一気に増加した。それに伴い強大な経済システムに飲み込まれたメキシコ国内の失業率も増加。メキシコ人の伝統的な常食となるトウモロコシなどがアメリカの大規模農場から大量かつ安価に入ってきた影響で、メキシコの農民たちも苦境に追いやられた。同時に、安い労働力を求めて日本の自動車産業の多くがメキシコへ進出していった。

そして、この自由化はメキシコからアメリカへのドラッグ流入を加速させ、アメリカからメキシコへの武器流入を増加させた。

グローバリゼーションの波が襲った地方からは仕事を求め、街場に降りてきた人達が町のはずれにスラムを形成していく。彼らは安価な労働力としてグローバル多国籍企業の低賃金できつい労働を強いられるか、もしくはマフィア組織の末端の歯車として生きていかなくてはならなかった。経済の分断は暴力の連鎖となり、多くの人々は絶望から故郷を捨て、新天地アメリカへの密入国を目指した。

2000年代に入ると、長年続いてきた政治とマフィア組織との関係の均衡が崩れはじめた。2005年頃からマフィア間の縄張り争いとメキシコ政府本体の三つ巴の抗争がメキシコ全土で激化していった。

※エルサルバドル内戦(1980年~92年)を撮影した実在の戦場カメラマンがモデルとなる作品。

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ヘロインを首の血管に注射する男。

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ゲレロ州・アカプルコ。暗殺現場。

ーメキシコ・フアレスの日々ー

メキシコ全土での暴力は、日を追うごとに凄惨になっていった。敵対組織や住民に恐怖を植え付けるために切り刻まれた死体が路上に投げ捨てられ、誘拐や恐喝、レイプ、考えられるあらゆる類の暴力が蔓延する。政府の警察機構は全く機能しておらず、犯罪の首謀者が捕まることは90%以上ないと言われ、内戦に近い状態で法執行機関が機能していないメキシコでは現在、一般的に政府組織はマフィア組織と同一視されている。今のメキシコは地域によって全く別の統治機構が存在する失敗国家だ。

癌細胞が肉体全体の細胞を蝕んでいくように、マフィア組織は国全体に根を張りめぐらせた。彼らは支配地域で住民に対して税金を徴収し、住民が支払いを拒否すれば暗殺する。

メキシコ北部、国境の町シウダー・フアレスでは麻薬輸送のルートの支配権を巡りマフィア同士の抗争が激化した。2008年以降、年間3千人の犠牲者を出して急激に上昇した殺人率はメディアでも度々伝えられるようになり、世界で最も危険な町の一つと言われた。

砂漠地帯にあるフアレスの街は、リオブランコ川を挟んだアメリカ・エルパソの目と鼻の先にある。市内の中心部はアメリカのように道が広いが、沿道には人気がなく、空き家となった商店やホテルが目立って閑散としている。ゴーストタウンとなった街の辻々に展開する覆面姿の兵士達、重武装の軍や連邦警察の車両だけが目立ち、街全体を重い空気が支配していた。

地元の新聞社「エル・ディアリオ」を訪ねるとカメラマン達は24時間体制で警察無線を傍受し、殺人が起きると現場へ駆けつけていた。長年フアレスでカメラマンとして働く同僚のエルネストは「毎日死者が出るので死者が0の時は逆にニュースになるよ」と話す。職場の机の上には21歳の若さで撃ち殺されたカメラマン、ルイス・カルロスの写真が飾ってあった。

ルイスはショピングモールにいるところを銃撃された。2年前には記者だったアルマンド・ロドリゲスも何者かに撃ち殺された。アルマンドはマフィアに対して批判的な記事を書いていた。それ以降、新聞社では記者の署名記事は発表されなくなった。

同僚だった若い女性記者は「バイクが自分の目の前を走っている時や夜、背後から車が走り抜ける時に恐怖を感じる」という。また、警察無線を常に傍受してフアレス市内を車で流している同僚カメラマンのルシオは「ルイスが殺された現場にも駆けつけて撮影しなくてはいけなかったのは辛かった。 彼はインターンを6ヶ月やって、ようやくはじめての給料をもらったばかりだったのに。この仕事はいろんな人の助けがないとできない。今日はもう4人の処刑された死体を撮影した、もう疲れた。死体のことは考えたくないし撮影もしたくない」と話す。

フリーランスで足を持たない僕を気にかけて、エルネストが新聞社のデスクと掛け合って彼らと一緒に動けるようにしてくれた。受付の警備員にも僕を紹介して「明日からこの日本人もしばらく会社に来るから通してあげて」と、エルネストは「これで大丈夫」と人懐こい顔でウインクした。

彼らは火事や事故などの取材といった、一般的な地方新聞の仕事をしていた以前とは変わり、敵が誰だかも判然せず、いつ何が起きるかわからない死と隣り合わせの日常を生きていかなくてはならなくなった。

よく晴れた日曜日の朝、エルネストと一緒にサッカー場で起きた暗殺現場へ同行した。4人が殺された現場には家のバルコニーにぶつけて大きく後部がへこんだRV車があり、運転席側のフロントガラスは銃弾で粉々に崩れ、赤い血糊が地面にまで流れ出ていた。

白いセーターに血のしみが付いた女性が若い女性を抱きかかえながら悄然とした面持ちで突然、道路に飛び出して来た。撮影しようと彼らに近づくと、うるさいハエを追い払うように「撮影するな!」と、こちらを一喝した。フアレスの人達はメディアに露出することを極端に嫌がっていた。彼らの気持ちに土足で踏み入るような、ハイエナ的な自分に自己嫌悪する。

自動小銃を構えながら暗殺現場を警備する覆面姿の警官たちを傍目に、ベビーカーを引いた家族連れがスナック菓子をパクつき、談笑しながら通り過ぎていく。そんな光景に視線を向けていると「多くの住民にとって殺人は日常の風景の一部となっている。フアレスの人達は蔓延する暴力にすっかり麻痺してしまった」、「誰が何のために殺したのかさえわからないことも多いよ」とエルネストは言った。

この暗殺をきっかけにこの後、フアレスだけで3日間で53人の人達が殺害された。

エルネストは抗争の激化でゴーストタウンとなった郊外の小さな町に奥さんと生後2ヶ月の娘の3人で住んでいる。安全だった時代に政府の開発計画によって作られた家をローンで購入したためにその場を離れることができず、家の周辺は人気のない不気味な静けさと砂埃が覆っていた。

次の新しい暗殺現場へ向かって運転しながら「一度、誘拐されかけたことがある。相手は誰だかわからないが自分の携帯番号と仕事の内容を知っていた。夜、家の前に見知らぬ車が2台待ち伏せしていたが、新聞社に電話したら軍の特殊部隊が私服でやってきて危機一髪、助かったよ。それ以来、妻を買い物させるにも一人では行かせられなくなった。できれば安全なアメリカ側で暮らしたい」とエルネストが言った。新聞社のオーナーもフアレスは危険なため、対岸にあるアメリカのエルパソに住んでいるという。

殺人事件の現場に何度か行くが、警察は規制線を張って死体を収容すると現場の検分はせずにすぐに立ち去ってしまう場合が多い。軍や警察自体がマフィア組織と連動して誘拐や殺人に直接関わっているのが主な原因で、フアレスでも誘拐や失踪、殺人事件がまともに捜査されることはあまりない。

町外れのゲットーに住むフアレスの最大麻薬組織Aの殺し屋H(28)の家を訪ねた。薄暗い2m四方の狭い部屋は汚物と食べ物の腐敗臭が充満し、湿気たマットレスと壊れかけたテレビがあるだけだった。

「7年前からこの仕事をはじめた。1週間に1500ペソ(約1万円強)の給料が組織からもらえる。今まで7回暗殺をした」

「暗殺1回につきだいたい4000ペソ(約3万円)もらえる」

「4ヶ月前、敵対するドラッグの売人を拉致した後、殺した。手元に銃がなかったため、ボスがどんな方法でも良いから殺せと言われて仕方がなく首から頭に向かって、はさみを差し込んで殺した」

それ以来、よく眠ることができなくなってもうこの仕事を辞めたいと思うようになったという。

「レストランから出てきたばかりの敵対組織に数十発の銃弾を撃ち込んで、一斉に殺したこともあった。全員死んだと思って引き揚げたところ、警察から電話がかかってきて『まだ1人生き残っている』と言われ、現場に戻って生き残りを撃ち殺した」

大きな作戦のときは覆面を被り、連邦警察の特殊部隊に偽装して車両も借りる。通常、警察には事前に作戦のことが伝えられていて、現場には警察がいなくなっている。手違いでもし警察に捕まったとしてもすぐに釈放される。

妻と12歳と6歳の子を持つ、華奢な体つきのHが今まで殺してきた現場の情景を淡々と話す姿は異様だった。

「組織から週1500ペソ貰っていてもヘロインに消えてしまう」

「もし殺し屋を辞めるなら、その前に大きな作戦を成功させなければボスは許してくれないだろう。希望のないこの泥沼の生活から何とか抜け出したい」

Hは噛み締めるように話した。

フアレス刑務所で会ったC(30)は誘拐の罪により70年の刑で服役していた。

「今まで何人殺したかは答えられない」

彼は刑務所の中でも特別待遇で、部屋にはテレビとゲームがあった。携帯と拳銃を持っており、刑務官の前で平然とマリファナを吸っていた。取材中、何か食べたいものはないかと尋ねられ、「ここの特製ハンバーガーがうまいんだよ」と薦められて、彼の周りにたくさんいる手下の一人に注文してくれた。

刑務所内も外の世界と同じく対立するグループの抗争があり、グループ同士は別々のエリアに住み分けされている。刑務所内最大グループのリーダーCは「刑務所内の抗争や暴動は一瞬のうちに広まっていく」と言った。バンズよりも肉やチーズ、ソーセージなどの中身がいっぱい詰まった、刑務所内とは思えない豪華なバーガーを頬張りながらCの房で話を聞かせてもらう。

「子供の時は牧場に住んでいてパイロットになるのが夢だった」

「13歳の時、警察のマリファナの輸送を手伝っている友人から誘われて自分も手伝うようになった。しばらくたったある朝7時ごろ、家のバルコニーでタバコを吸っていたら突然その警察がやってきて散弾銃を渡され、友人を殺せと命令された」

「友人を散弾銃で撃ち殺した時は、自分に肉と血が飛び散った。友人の後ろにあった壁にも大きな、真っ赤なシミを作った」

「22歳の時、ボスに死体の足や手を切り離せと命令された。目をつぶりながらなんとかやり終えたが、その時のことが忘れずにそれ以来よく眠れなくなってしまった」

断ることはできなかったのかと聞くと「お前はもし50人の男たちに囲まれて相手を殺すか、自分が殺されるかどちらを選ぶと言われたらどうするのか?」と怒気を込めて答えた。

「もし刑務所を出ることができても、正月もクリスマスも家族とは過ごせない。なぜなら家族も巻き添えになって殺されてしまうからだ。メキシコでは自分の人生は変えられない」

フアレス刑務所で働くある女性の刑務官は「刑務所内で刑務官として働いていた夫は2年前にマフィア組織から『自分たちはお前を必要としていない』と脅迫された。夫は脅迫を無視したため、友人の家を訪れた時に車から銃撃されて殺されてしまった。刑務所内では彼ら(組織のメンバー)に触れることはできない。私はもう刑務所内ではなく受付で働いている。それでも訪問者に気を使わないといけない」と話した。

はじめはエルネストの口添えもあって刑務所側の担当者は歓待ムードだった。ただ、刑務所内の撮影もCと接触したことが原因で、それ以後まったくできなくなってしまった。

フアレス渓谷の墓地で行われるマルセラさん家族の葬儀へ行く。墓地までの道沿いにはところどころで家が焼け焦げ、人気のない荒れ果てた街中心部の体育館にはメキシコ軍が駐留し不気味な雰囲気だった。町の周囲に一面に広がる砂漠の曠野を見ながら、一体どれだけの行方不明者が打ち捨てられただろうかと思う。

この街でパン屋を営むマルセラさんは、メキシコ軍と政府の癒着やメキシコ軍の暴力に抗議した報復に2人の家族は誘拐されて殺されてしまった。スコップで墓穴を掘り終わった墓の管理人は「自分の弟も去年殺されてここに埋葬した。埋葬されるのは10代、20代の遺体ばかりだよ。この場所は少し前までは空き地が拡がっていたのに全て墓地に変わってしまった。墓穴をいくら掘っても足らないよ」と独りごちた。

家族の何人かは新たな報復を恐れてサングラスやマフラーで顔を隠していた。今回の誘拐事件の一端だと思われる連邦警察の警官たちも、覆面をして自動小銃を構え、警備という名目で葬儀を取り囲む。

マルセラさん一家は誘拐された2人の家族のために検察庁前できちんとした捜査を求めて抗議のハンガーストライキをしたが、その最中に何者かに自宅を焼かれてしまった。彼らには帰る場所さえも残されていない。棺を抱えて泣き叫ぶマルセラさん家族の激しい嗚咽が、冬空でモノトーンに染まった砂漠の墓地に響く。

フアレスで権力の不条理に抗うことは死を意味する。末端の警官、軍人や殺し屋、そしてマルセラさん家族たち。市井の人々は生活基盤が脆弱なため、自らの意志とは関係なく、自分の出自や周辺環境の小さな差異で強大な力に巻き込まれて加害者や被害者に振り分けられていく。そして、一度でもこのシステムに組み込まれてしまうと経済利益を得るための歯車として利用され、自らの死が訪れるまで途中下車は難しくなってしまう。

フアレス滞在中、世話になっていた居候先の主人・ルピータは、撮影から帰ってくるといつも「お腹は空いていない?」としみじみとうまい、メキシコ的お袋の家庭料理を出してくれる。葬儀屋で働く彼女の息子は「目がくり抜かれた死体や、首から上がないバラバラの死体が運ばれてくる。あまりの酷さに参ってしまう。葬儀屋の主人はマフィアから税金を払わなければ殺すと脅され、アメリカへ逃げてしまった」と話す。

「息子はだんだんと仕事のことを話すようになったよ。昔フアレスはこんな街ではなかったのに」

生粋のフアレスっ子であるルピータは以前のように外出することができず、朝から晩まで殺人ばかりを伝えるニュースを居間で見続けることしかできない。日常の暴力と死、それに続く報復はマフィアの抗争が終わるまで続く。

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フアレス刑務所に服役するマフィア組織。

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マフィア組織Aの殺し屋H。

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フアレス検察庁前でハンガーストライキをするマルセラさん。

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マルセラさん一家の葬儀。

ーメキシコ・ゲレロ州ー

311の大震災で急遽メキシコの取材を切り上げて日本へ戻り、しばらくしてからフアレスをともに回ったメキシコ人のルポライターSに連絡を取った。音沙汰がないので不思議に思いGoogleで調べてみると、Sはメキシコシティの空港で逮捕されてしまったことがわかった。サパティスタを取材した時に知り合ったSとは長い付き合いで、一緒にコロンビアのゲリラ取材もした。取材が難航して僕が困っていると、Sはいつも手助けしてくれる頼れる兄貴みたいな存在だった。

彼の名目上の容疑は為替法違反で5年間の判決が下りた。彼はよくマフィアを取材していて本も書いていたので、刑務所内で殺されてしまうのではととても心配したが、2017年、彼がようやく釈放されたと聞いて再びメキシコへ戻った。

Sは開口一番「なぜ捕まったかは誰にも言えない。静かに目立たなくしているのが一番安全だ」と言ったので、「ともかく無事に出てきたことが一番で、それ以外のことはどうでもいいよ」と僕も詮索するのをやめることにした。

6年ぶりのメキシコは以前にも増して暴力が広がっていた。2014年にはゲレロ州イグアラでマフィアと軍、警察組織が共謀したと思われる43人の学生の失踪事件が起きた。検察庁の調査が不十分だと国際世論に押される形ではじまった第三者委員会の真相究明も、政府の妨害によって解明することはできず現在も真相は闇のままだ。 この事件は2006年にメキシコ政府がマフィア組織との戦争を宣言してからおよそ25万人の犠牲者と4万人の行方不明者を出し続けていることに対し、責任を一切負わない政府の腐敗を象徴する出来事となり、メキシコ社会に対する世論の怒りが高まるきっかけとなった。

イグアラからほど近い町ウイツコに住むマリオ・ベルガラは、2012年に誘拐された兄を探し続けている。ゲレロ州の山岳地帯はヘロイン栽培が昔から盛んな地域で、高速道路の出入り口に隣接するウイツコは麻薬輸送にとって重要な地域となるため、マフィア同士の抗争が絶えない。

誰もが顔見知りの小さな町で、なぜ誘拐事件が起きるのか? マフィア組織は下部組織のギャング集団に町を支配させて住民に税金を徴収させ、麻薬販売や殺人など、組織の手足となって汚い仕事をする。そうしてギャングたちは麻薬ビジネスだけではなく身代金目的で町の人々も誘拐するようになったのだ。

タクシー運転手をしていたマリオの兄も「身代金の要求はあったが、犯人に兄の生存を確かめてから払うと確認したところで連絡は途絶え、そのまま行方不明になってしまった」という。

住民の中には2、3回と誘拐されている人も多い。「街中で白昼堂々、誘拐されることもある。犯人が誰だかわかっている時でも住民は自分たち家族の安全のために、見て見ないふりをする」とマリオは話す。

「自分だっていつ殺されてもおかしくない。自分が経営しているビリヤード場にも税金を徴収にギャングがやってくる。他の町からやってきた彼らは一様に若くて、遅かれ早かれ敵対組織に暗殺されてしまう場合が多い。誘拐している人間たちもビリヤード場に遊びにくるが、自分は犯人を見つけたいわけではない、ただ家族に会いたいだけだと話している」

ただ、そのような状況の中でマリオは「イグアラで学生失踪事件の被害者家族が独力で調査をはじめると、これまで見つからなかった多くの行方不明者の遺体が発見されたというニュースを見て、自分も兄を探すことができるのでは」と山に入って探すようになった。はじめて行ったイグアラ近郊の山では多くの遺体を見つけることができたという。

「骨や遺留品を見つけて関係省庁に連絡してもほとんど特定はされない。今まで170体ほど見つけて、身元が特定できたのは10体あまりしかない」

思い詰めた表情で話すマリオは3年前から自腹で行方不明者を探す活動をしてから「自分の生活は大きく変わった。以前は行方不明者のことなど何も知らなかったし興味もなかった。ビリヤード場をやってビールを売っていく生活だったよ」という。以前住んでいたウイツコ郊外の家は行方不明者を探しはじめてから脅迫を受けるようになり危険なため、現在は街中心部に近いビリヤード場の2階に妻と娘の3人で住んでいる。家のテラスには娘や甥が小さいうちから慣れるようにと牛の骨が置いてある。マリオは1歳になったばかりの娘を抱きながら「娘にも自分の後を継いで行方不明者を探してほしい」と言うと、1度誘拐されかけたことがある妻のセシリアは半ば呆れた顔で「何言っているのよ、あんた」と笑った。

マリオと彼のまだ小さい娘を乗せたベビーカーを押しながら一緒に町の中心部を歩くと「ここも誘拐された、あそこの家は2回」と言って回る。目抜き通りにある商店はほとんど誘拐されているようだった。

「身代金を払って運良く解放される人もいれば、払っても解放されない家族もいる」

時折、若い2人乗りのバイクが通り過ぎると「あれは組織の見張り役だよ」と小声で呟く。被害者のほとんどは庶民の一般家庭で、現金の持ち合わせはなく家や車を売って現金を作らなくてはいけない。誘拐の恐怖から町を去った人達の空き家も目立つ。

先週、家族を誘拐されてしまったという男の人がマリオに話しかけてきた。「なんとか言われた通り身代金を払ったが、犯人達から連絡がない。何かできることはないだろうか。彼は糖尿病で薬を飲まないと死んでしまう」と沈痛な面持ちで話す。ダメもとでマリオがいくつかの政府機関のコンタクトを教えるが「誘拐されてもやれることは本当に少ない。脅迫や誘拐をされても頼るべき機関がないからだ」と、マリオはうんざりした顔で言った。

マリオと失踪者の遺体を探しに山に入る。マリオは山に入る前に人権委員会から渡された携帯電話に連絡を入れる。1時間ごとに連絡を入れて、連絡が途絶えると彼らが関係機関に連絡してすぐに捜索を開始してくれるというが、メキシコでは焼け石に水みたいな話だ。

古びたピックアップトラックに愛犬を乗せて町外れの幹線道路沿いを走ると、眼前には広大なトウモロコシ畑と牧場が広がる。誘拐犯たちは幹線道路沿いから脇道に入って車を隠し、携帯が繋がる通話圏内で人質を監禁する場合が多いという。

幹線道路沿いに車を止めて30分ぐらい歩くと、小高い山の頂上付近に誘拐犯達が以前使っていたキャンプについた。「ここからは木陰から幹線道路を見渡すことができるが、向こうからはこちらの場所を見つけるのは難しく、彼らにとっては絶好のロケーションだ」とマリオは言った。誘拐犯達は警察がきちんと搜索しないとわかっているようで、あまり奥深い山中には行かないようだ。

あたりにはペットボトルや錆びたツナ缶などが大量に散乱し、長期間に渡り何度も誘拐を繰り返して生活した形跡が残っていた。被害者のものだろうか、腐りかけた洋服やカバンなどがいくつも無造作に、かなり広範囲に散逸している異様な光景に息をのむ。

マリオはどこかこの近くに死体を埋めたはずだと付近を調べはじめた。通常なら警察がきちんと現場を保存して調べるべき場所なのに、全く捜査したような形跡はなく風化に任せるままだ。マリオはこうした場所を匿名の住民の通報によって探し当てる。付近の住民は報復を恐れて口を閉ざすが、誘拐犯が潜んで死体を捨てている場所は知っているケースが多いという。

「いつ殺されてもおかしくない」

常にマリオは尾行がついてないか、後ろを気にしながら運転をしている。基本的に夜間は動かないようにしているというが、一歩町を外れたら人気もまったくない場所ばかりで実際に襲われたら手の打ちようがない。

日を改め、今度はグアダラハラの大学で開催される行方不明者の会議に出るというマリオと一緒に、早朝のバスに乗ってメキシコシティまで行く。僕と同じように髪に白いものが混じリ始めた同世代のマリオは、隣の座席で疲れ切った様子で眠りはじめた。死の恐怖を感じながらメキシコ社会の不条理に対峙する彼は、取り憑かれたように自分の家族ばかりか他の行方不明者までも探す。次会うときまで、彼は生きているだろうか。

別れ際、マリオにかけるべき言葉は見つからず「また会おう」と互いに抱擁した。朝の射光が差し込む駅のホームの雑踏に消えていくマリオの後ろ姿を見ながら、彼の言葉が脳裏に浮かぶ。

「家を出た後のオプションは3つある。一番良いのは家に無事に戻れること。二番目は誘拐されるが家族が自分の遺体を見つけられること。最悪なのは誘拐されても遺体が見つからず、生死も判別しないまま行方不明でいることだよ」

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ゲレロ州。処刑された遺体を回収する警察。

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失踪者の捜索を終えたマリオ。

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山で失踪者を捜索するマリオ。

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息子を何者かに誘拐された母親。

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誘拐犯達がいたキャンプに打ち捨てられた遺留品。