【vol.48】日常の中の生と死

夏が終わり秋の気配が近づくにつれて、台風も頻繁にやってくるようになる。自宅まで「ドーン」「ドーン」と波の鈍い音が腹の底まで響いてくると、「いよいよ」だなと重い腰を上げる。致命的な痛手だけは避けるべく、家周りに台風対策をほどこすのがルーティンだ。

そして、カメラを持って磯へ波のチェックに行く。

どす黒い巨大な波が黒々しい溶岩の磯にグオーンとぶち当たって白く砕けて霧状になる様は、見ているものに高揚感と体の芯を揺さぶる何かを感じさせる。それは一瞬にして全てを飲み込む死のイメージだろう。

今回の台風では波に流された観光客とそれを助けようとした島の人の2名が亡くなってしまった。あの日はとても泳げるような海ではなくて、波に飲み込まれてしまったら陸に戻ってくるのは本当に厳しかったと思う。翌日、亡骸を何とか回収することはできたが残された家族の気持ちを考えると本当にやりきれない。

数年前、僕も溺れた若い男を助けたことがあった。

沖からカヤックで港に戻ってきた時、前方に乗っていた連れ合いが「人が沈んでいる。助けてあげて」と声にならない叫び声をあげた。その声に瞬間的に反応して何も考えずに海に飛び込むと、二人組の若い男の子の一方が磯に片手でつかまりながら溺れている仲間を必死に支えていた。

男の子の顔は水に沈んでいた。

自分のPFDを半ば死体と化した男の子に着せても、顔面はこちらが支えていないと水に沈んでしまう。意識が無くなり、ぐったりとした肥満気味の男の子の体は重くて、安定があまり良くないカヤックにはうまく引き上げることができなかった。

フィンもマスクもつけずに慌てて海に入ったことを後悔しつつも泳いで岸まで彼を引きずって行くしかないかなと考えていると、異変に気づいた他の人達が泳いで助けにやってきてくれた。彼らの助けを借りて男の子の顔面が沈まないよう注意しながら、カヤックで引きずって何とか陸まで上げることができた。

もう助からないと思っていた男の子は陸にあげて仰向けにさせるといきなり白い泡を口から吐き出して、なんとかこちら側の世界に戻ってきた。ふと我に返って周りを見ると、大学生らしい仲間たちはオタオタとまったく救助に参加せずにフリーズしていて、思わず頭にきた僕は彼らのことを怒鳴りつけてしまった。幸運にもこの時は海が凪だったから上手くいったけれど、もし荒れていたら多分違った結果になっていたと思う。

後日、心配した連れ合いが入院していた男の子に会いに行くと、当然ながら助け出された時の記憶は全くなかったらしい。どうやら初めて使ったシュノーケルに入った水が上手く吐き出せなくなり、パニックとなって溺れたようだった。

「カヌーの人たちがいなかったらお前は死んでいたぞ」と先に東京へ帰った仲間たちに言われたと、自分の命のことなのにどこか他人事のように話していたという連れ合いの報告を聞いて、子供じゃないのだからシュノーケルの仕組みぐらいわかってから泳いでくれよと、あの狂気の瞬間を想い出してとドッと力が抜けた。

爾来、スローロープを軽トラにいつも積むようになった。

このことをきっかけに他者を助ける行為についても考えるようになったけれど、だからといって自分の中で明確な基準などは簡単にできるわけもなく、実際はその場の瞬間瞬間で体が反射的に動くのに任せるしかないのだと思っている。

例えば昨年、沖の磯までカヤックで貝を採りに行って、連れ合いが磯波に揉まれてしまったことがあった。はじめは大丈夫だろうと笑って見ていたけれど、段々と波間から姿が見えなくなっていくうちに流石にちょっとやばいかもとカヤックで近づいた瞬間、波に煽られて転覆してしまった。

なんとか彼女は波から逃れられたが、転覆したカヤックに何度乗艇を試みるもタカをくくってコックピットカバーをつけなかったことが災いし、水を掻き出したところで波を被って水船状態となってしまう。その間にもパドルやアンカーは海に沈み、その度に潜っては回収を繰り返していると、すでに一度溺れかかって疲れ果てた彼女は「もうこのままじゃ死んじゃうよ。カヤックを捨てて泳いで帰ろう」と言い、「まだまだ全然イケる」と言い張る僕に愛想をつかして一人で泳いでいってしまった。

「お前ちゃんと戻れるのかよ」と聞くと、彼女は「わかんない」と捨て台詞を吐いて泳いでいく。その姿に舌打ちをしながら僕はカヤックを諦めきれず、岩場まで何とか引き上げに成功。水を掻き出して再度海に漕ぎ出すも、すぐに波に煽られて竜骨部のフレームごと真っ二つにカヤックが折れてしまった。

ゲームオーバー。もうここでやれることはない。相方が無事に泳ぎ着いたことを祈りつつ、幸いにもフォールディングカヤックなのでフレームを分解していると、遠くの方から彼女が呼んだ父親と妹の彼氏が岩場を伝ってこちら側へ向かってきてくれたので一安心。ヒイヒイ言いながらみんなで分解したカヤックを担いで港まで戻ることができた。

そしてしばらくの間、連れ合いからは「あんたは私よりカヤックを取った男だ、もうあんたとは海に行かない!!」と言われ続けた。

どちらの判断が正しかったか?という無限ループの問いがしばらく続いたが、そんな犬も食わない痴話喧嘩も無事だったからできるんだよなと、日常の中にある生と死を噛み締めた。

磯にあたり砕け散る波。波が鎮まると流れ着いた木材や漁具を拾いにいくのが日課だ。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine:Intifada』『Re:WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。