八丈にも秋が訪れ、暑い夏が終わった。まるで赤道地帯にいるのかと錯覚するような連日の強い日差しは畑の島バナナをよく育てたが、一方でショウリョウバッタが異常繁殖して作物を食い荒らし、日照りで土はカラカラに乾き切ってしまった。本来乾燥に強いはずのさつまいも畑さえ打撃を受けた。
暑い夏の間は、朝から晩まで海パン一丁で過ごすことが多い。大汗をかいたらそのまま海に入るか、外で水を浴びるから風呂にも入らない。服を着るのは店に入る時や蚊が多い畑で作業する時ぐらいで、下着も服も着ないから洗濯物もなくて快適だ。
海で泳いだ帰りに商店の駐車場で連れ合いの買い物を待っていると、統合失調症のMちゃんがはだけたシャツからおっぱいを丸出しで車から降りてきた。宙を見据えて凝視している彼女の佇まいは、インドのサドゥーのようでもあり迫力がある。彼女にしか実在しない世界の深淵を覗き込んでいるのだ。
「おー世界(なぜか僕のことをいつも世界と呼ぶ)。久しぶりにまたお前の家に行ってうまいもんでもくいたいねー」
顔をシワクチャにしてMちゃんは嬉しそうに言う。発病する前の彼女はクールな女っぷりを発揮していて、集落に住む同級生のおばさんからは「昔のMちゃんはキリッとしてかっこよかったよ」と聞いた。男にモテて、美味しいものをよく食べていただけに、牡蠣とかフグの干物とか、渋い食い物が好きなのだ。
しばらくぶりに会ったMちゃんはわずかに残っていた前歯も無くなり、気の毒なほど痩せていた。症状を抑えるための薬で体に大きな負荷がかかっているから、極端に太ったり痩せたり、いつも振れ幅が激しい。
僕はそんなMちゃんを見て、つい最近、彼女が裸で外を歩いていて警察沙汰になった話を思い出した。世話人の男の子は個性強めの彼女が逆上するのを恐れて何も言えないらしく、思わず「Mちゃん、乳首見えてるから店に入る前にボタン閉めたら」と言った。返事は上半身裸の僕の姿を見て「お前も乳首丸出しじゃねえかよ」と一喝。「確かに俺も乳首丸出しだ。人の恰好のことを偉そうに注意なんかできないよな」と、その場にいたみんなで顔を見合わせて笑ってしまった。
「暑いからなー。昔はもっと自由だったのによ」と言いながらシャツのボタンを閉めて店に入って行くMちゃんの後ろ姿を見ながら、確かに彼女の言う通り、世間の決めたくだらないルールを俺たちは蒙昧に信じ込んでいるよなと思う。
先日、八幡暁さんの取材に行ったばかりの石垣島から仲間の突然の訃報が飛び込んできた。久しぶりに会ったばかりなのに、あいつは高校生の息子を残して死んでしまった。20代の頃、馬鹿をして一緒に遊んでいた同年代の仲間が短い寿命だとわかって死んだとしても、残された側はまだ少し若すぎる死に、寂寥がふとした瞬間にじわりと染み込んでくる。
別れ際「またな。近々また会おう」と握手した時の、彼女のドキッとした表情と汗ばんだ手のひらの感触を鮮明に思い出す。病気のことは家族以外にはひた隠しにしていたが、彼女はその時すでに死を覚悟していたんだなと思う。「息子との何気ない日常がとても愛おしく感じる」と、彼女がしんみりと言っていた意味がようやくわかった。
しばらくすると、今度は具合が悪くて餌をほとんど食べなくなったウチのサビ猫が死んだ。茂みから掠れた声で鳴いていたのでドアを開けて「おーーい。こっちに来い」と言うと、体を左右に揺らしながら倒れ込むように濡れ縁から家に入ってきた。連れ合いの膝の上に座って、痩せこけて骨だけになった身体を気持ちよさそうに撫でられた後、備え付けのねこドアを開けて再びよろよろと外に出て行ったまま、二度と帰ってこなかった。
外に出ていくサビ猫を連れ合いが追いかけようとするのを「最期に力を振り絞って俺たちに会いにきたと思うから、もうあいつの好きなようにさせよう」と、諦めるように言い含めた。自ら自然に土へ還っていくサビ猫の潔い良い死にっぷりに、自分も時期が来たらあんな感じで向こう側へサクッと逝きたいなと思う。
ケモノの彼らは過去も未来もなくその瞬間を生きている。アマゾンの奥地に住む少数民族ピタハンのように神を持たず、右や左、数字や色や時間の概念すらもないのだろうと思いを巡らせながら、俗世に生きる僕たちと違ってMちゃんも彼らと同じ世界の片隅に住んでいるのだろうと思った。仲間に会いに石垣島にまた行こうと思う。
亀山 亮
かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re :WAR』『Documentary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』『山熊田 YAMAKUMATA』『戦争・記憶』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。
マタギの村「山熊田」の爺やが93歳で他界した。あの世でも山に入ってクマを探してるのかもしれない。