2017年の夏はサバイバル登山にとってよい夏ではなかった。渓に残雪は多く、梅雨明け後の天候安定期間は短く、空梅雨のためにアブの発生も早まった。社会のしがらみを離れて、山に遊ぶ目論みは、最初のつまずきから雪だるま式の悪循環になり、苦行へと変わっていった。
文/服部文祥 写真/亀田正人
サバイバル登山家 服部文祥
1969年生まれ。登山家、作家。小誌メイン執筆者のひとり。登山は自力でなくては意味がなく、自力だからこそ面白いと考え、食料燃料自給自足のサバイバル登山を提唱、実践する。近著に『息子と狩猟に』(新潮社)など。
現代人に社会から逃れる自由はあるのか
南会津から奥利根へ、途中、国道を渡るものの、有名渓谷を繋いで歩く。踏破するだけで10日、楽しみながら成功させるなら2週間近い日数がかかる長旅である。いや、長旅の予定だった。
やってもいない計画を、とやかく言うのは登山者として品位が欠けている。わかっていても、2017年8月のサバイバルライン(計画)は、自分でも美しいと思えるものだった。
若い頃(20年前)はしがらみも、締め切りも、約束もなかった。社会との関係が希薄な自分が時にさみしくもあったが、一方で自分の予定を山に合わせることができた。梅雨明けの予想を聞いてそれに合わせて出発するのに苦労はなかった。
いつの間にかそれが、書かなくてはならない原稿と、やらなくてはならない執筆依頼と、好きでやっている家の雑事(薪の準備やミツバチの世話など)に取り囲まれていた。世間や家族から必要とされている喜びと、それに付随するやんわりとした束縛。
染み付いた習慣から、威勢のいい計画を組むものの、登山日が近づくにつれ、計画の周りにいろいろなものが入り込んできて、登山そのものをじんわりと圧迫しはじめる。順繰りに片付けておけば良いのだろうが、ついつい先送りしているうちに、シワは伸ばせないほど深くなっている。
今回はかなりうまく処理したつもりだった。ところが出発直前に台風が発生し、湿った空気が本州に流れ込んで、局所的に豪雨が降った。さらに、7月中に奥利根エリアに釣りに行ったカメラのカメダが、渓に残雪が多いという情報を持ち帰ってきた。
なんにせよ、ゲリラ豪雨が頻発している渓に入りこむことはできない。出発日が来ても、天気予報を見ながら、自宅で待機するという時間がつづいた。
私はシワをより伸ばすべく、文藝春秋の狩猟原稿(文春オンラインで読めます)を書き、毛バリを巻いた。そして天気が好転しそうな気配を見せた8月1日にようやく出発した。
予定のラインはもう日程的に無理。後半の奥利根だけでもやろうという意志を、雪渓が多いという情報が挫き、なんとなく、南会津の地図を車に積んで、只見を目指した。
この「車」がまた問題。夏のサバイバルは自由に山で遊ぶために、列車で移動して、とにかく山に入ってしまい、後は行けるところまでいくという方法を取っている。車は自由なようで、戻ってこなくてはならないという制約が大きいからだ。
休みはいちおう8月10日までとってあった。その気になればまだ9日間も遊べる。結局、会津只見の叶津番所に行って、現地の水量を見て、只見から小戸沢経由で白戸川に入り、丸山岳から黒谷川を経て、袖沢御神楽沢に移り、檜枝岐に抜けるという計画に落ち着いた。一昨年の宿題を片付ける形だが、洗戸沢で遊ぶことを考えたら、9日間でも日程的にはギリギリである。メジロアブ(血吸いアブ)の発生時期に入っているが、なんとか最盛期になる前に、アブが比較的少ない黒谷川の上流部に入れると踏んだ。
8月2日
小戸沢は禁漁なので、サクッと沢登りで通過してしまおうという目論みは、西ノ沢の悪相と、残雪の不安定な状況ですぐに頓挫した。胸まで流れに浸かったり、泳いだり、へつったり、巻いたりと、もう自分がどこでなにをしているのかよくわからない。なんとなく尾根に丸みを感じて見に行くと、昔の小屋場があった。昼はとうに過ぎているので、ここで宿泊。オカズはワラビとヒラタケだけである。
8月3日
昨日に引き続き、悪相の渓をゆく。登りにくい小滝を連続して登り、いよいよ追いつめられて急傾斜のヤブをなんとか高巻き、カメダとカワサキが仲良くチェーンスパイクを片方紛失し、雪渓を潜り、再びヤブを登って、なんとか白戸川支流の横松沢に出た。今度はこの横松沢をロープを出して懸垂下降。ようやく白戸川本流に降り立つと、そこはイワナではなく、アブの楽園だった。それでも、少々イワナを釣り、途中で拾っておいたカエルとヤマドリイグチを炒めて夕食とした。
移動距離約45km・ 高低差約1500mの南会津サバイバル
自由山道の全行程
社会のしがらみと不安定な天気に翻弄され、予定を変更。即席で練り上げた計画は、一昨年の積み残しを別アプローチで消化しようというものだった。だが、我々は南会津の難渓に翻弄され、血吸い系飛翔型昆虫の宴の肴となった。
出発地となった 只見の叶津番所
越中と会津(只見)を繋ぐ街道八十里越(現国道289号)の只見側関所としての役割を持っていた叶津番所。江戸時代後期に建てられ、現在も当時の姿を残している。
虫のエサになって原始の渓を歩く
8月4日
河原を歩くと身体の周りを飛ぶメジロアブは、黒い霧のごとくである。空梅雨だったので、最盛期がいつもより早いようだ。
メルガ又沢と洗戸沢の二俣直前にある滝で、白泡のゴミ溜まりからイワナの黒い頭がはみ出して見えた。毛バリを打つ。ラインがまったく動かないので、軽くアワセてみると、かかっていた。尺以上の魚体を上げると、毛バリを飲み込みかけている。少し前からちゃっかり毛バリを咥えていたようだ。ビクに入れて、一段上流にある白泡にも毛バリを打った。流れに突き刺さったラインが不自然に止まり、あわせると、また大きな魚の手応えである。
岩の上に立って釣っていたので、一段下がってから、引き上げると尺一寸だった。
そのまま洗戸沢に入り、最初に出てきた河岸段丘にタープを張る。一昨日のゴルジュ、昨日の尾根越え、そして今日のアブ。入山時から仕事の疲れを引きずっていたカワサキはすでにぐったりしている。魚はたくさんいるようなので、9寸未満はすべて放流と決め、カメダと二人で釣りに出るが、アブが邪魔をして集中できない。9寸が数本上がったところで、私は切り上げて宿泊地に戻った。カメダはさらに奥へ釣りにいった。
お茶を沸かしていると、カメダが帰ってきて「出ましたよ」と興奮している。ビクを見るとサケと見まがうような大物だ。
タープの周りは、アブに加えて、ヤブ蚊も飛んでいる。薄いシャツのまま座っていたカワサキの背中はすでにぼこぼこに刺されていた。
8月5日
朝から、この山旅でもっとも豪勢なアブの歓待を受けた。私の体液を求める小さな虫にここまで多量に取り囲まれると、逆に少し誇らしい気持ちになる。わたしも生態系の一部に入り込めたのだ。
メルガ又沢のイワナは2011年の福島新潟豪雨で、多くが流された。6年経って数が戻り、それどころか増えているようだ。足元からイワナの影がひっきりなしに走って消える。
カワサキは仕事の疲れと虫さされの蓄積(虫に刺されると疲れる)、カメダは股擦れと虫さされとツタウルシ(推測)という、夏の南会津3大洗礼を浴びて、もうろうとしている。昼過ぎ(と予想される時間)に山頂に着いたときには、みんなぐったりだった。
食料に恵まれた1〜3日目の野営地
ゴルジュの小戸沢では小尾根の末端に小屋場を見つけて泊まった。初日の食料にイワナはなく、ワラビとヒラタケがオカズ。翌日、尾根を越えて白戸川へ。渓のめぐみが手に入りはじめた。
まるで天空の楽園4〜5日目の野営地
アブとヤブ蚊を避け、山頂から離れた一画にタープを張る。豪雪の丸山岳は稜線とはいえ水場(残雪)が近く、立ち枯れの木を集めて、小さな焚き火を起こさせてもらうこともできる。
サバイバル登山の象徴的自由
人間社会への連絡方法はない。大きなミスをすれば、とんでもない苦労の末になんとか下山するか、死ぬかである。そういう登山をしているというと「あなたはそれでいいかもしれないが、何かあったら必ず社会に迷惑がかかる」と責める人がいる。一見、正論のようで、実はまったく的外れ。たとえ遭難しても、無関係な第三者には迷惑などかからない。楽しいゴシップを提供する程度である。
心配をしてもらうために山に行くのではない。自分という生命現象を維持するのが自分の力だけの瞬間を求めて社会を離れる。それは生命本来の姿である。
人間界における規制からの自由
どこを歩き、どこで眠るも自由
何を奪い、何を奪われるも自由