ページ下にある見たい特集の写真やタイトルをクリックすると公開ページを閲覧できます
ちょっとした意識と技術で身近な場所が楽しくなる
ドブネズミと同じく当然ヒトも動物である
我々はヒト属唯一の現存種“ホモ・サピエンス”である。ヒトが自ら作成した国際自然保護連盟のレッドリストによれば、我々は軽度懸念。ヒトもドブネズミなど、約1万4000種の動物と同じく、絶滅の恐れがない動物というわけだ。
動物のテリトリーは構造と能力で決まる
ご存知の通り、動物にはそれぞれテリトリーがある。その住処や糧を得るための行動範囲は、個々の種の構造と能力によって決まっている。太古のヒトたちはその知能を活かして、多くの仲間を失いながらも危険な地理的空白部へと繰り出し、テリトリーを広げた。それが今、軽度懸念の動物として世界中に分布するホモ・サピエンスの由来である。
行動範囲を広げる探険こそ神聖な行為だ
だから、世界各国でテリトリー争いを勃発させている宗教の歴史がいかに古くとも、ヒトのテリトリーを決めたのは「探検」行為である。ある民族がジャングルで暮らし、ある民族が砂漠で暮らすのは、あらかじめ決められたルールではない。ヒトが神に創造された世界観を抱くようになる以前から、山、川、海を踏破する行為は行われていたのだ。言うならば、自然の厳しさに直面し、多くの仲間を失ったからこそ、ヒトは山や海を畏れ敬い、神として崇めるようになったのではないか。ヒトが自身の能力だけで自然と対峙する「探検」行為がなければ、富士山も那智の滝も、もっと蔑ろにされていたに違いない(だから科学技術で簡単に自然を凌駕できる現代になって、神や自然が蔑ろにされている)。
ときに道を外れる探検心を忘れるべからず
すべからく、「探検」は動物が生きるための本能的行為だ。品行方正な本誌ゆえ“現行の法律やマナーは遵守するべき”と考えるが、本来「探検」行為とは人為的な何かに阻まれるものではないし、それで命を落とすことに対して本人も周囲も文句は言えない。未だ知らぬものを探し出す欲求こそ、今の今まで我々を生かしてきた源なのだ。切符を買わされて決められた道を行くのは本能的じゃない。人間はヒト属唯一の現存種として、少しは外道であるべきだろう。
すべてが明かされた時代現代人にも探検はできるか?
さて、そんなことを言っても今は科学技術で宇宙にも行ける時代、この小さな島国に探検の地は残されているのか? コアな部分では、本当の意味で未知を得る探検は残されている(それは次頁“外道クライマーの肖像”に書いてある)。そして、我々個人の体験に限れば、探検の類は無数にある。ただ道を歩かされ、決定事項を聞かされるだけの単なる生産力でいることはやめて、自分の知的好奇心に素直でありたい。
※この記事は2016年4月発売『Fielder vol.27』に掲載されたものです。
「TEAM 廃墟」が贈る日本を知るための“廃キング”
ニッポンを支えた産業遺産を行く
視界を遮る藪の壁。ヒグマ、アブ、ヘビ、コウモリ。多くの困難を乗り越え野生生物の恐怖と闘いながら炭鉱の廃墟を探索する。
Text&Photo/Shigeo Katori(TEAM廃墟)
超こわい! 超楽しい! 日本一危険な山の稜線を“Highキング”
日本“最怖”のハイキングコース 妙義山頂上縦走
毎年のように重大事故が発生し“日本一危険な鎖場”として名高い妙義山の上級登山コース。本誌連載「もしもチョモランマに登れたら」のメンバーがその稜線縦走に挑戦する。
Edit/Tomotaka Yamazaki
Photo/K1、UNIT QUATTRO