企業の広告塔となって世間に知られたフィールドを歩く利口者がいる反面、例え“B級”扱いを受けようと、演出ナシで人類未踏の地を這い求める輩がいる。地理的空白がほとんど残されていない現代においてもなお真の探検を追求する彼らの行為は、ステマや八百長に囲まれた我々にとって実に刺激的だ。先ごろ発刊された“外道クライマー”なる本。現代の探検家=沢ヤ(※1)の悪絶(※2)極まる旅路を記した同作の著者であり主人公・宮城公博が思う、日本に残されたロマンとは?
本文/宮城公博
※1 沢登りに異常なこだわりをもった偏屈な社会不適合者(外道クライマーより抜粋)
※2 沢ヤ界の造語。筆舌に尽くしがたい形容(外道クライマーより抜粋)
外道クライマー 宮城公博
1983年愛知県春日井市生まれ。登山界の深部では“セクシー登山部の舐め太郎”として有名な沢ヤ。ヒマラヤ、カラコルムでのアルパインクライミングから南国のジャングルでの沢登りにいたるまで「初挑戦」にこだわり続け、国内外で数々の初登攀記録をもつ。2012年、世界遺産“那智の滝”登攀により逮捕されて7年間勤めた福祉施設を辞めるが、その後13年には立山称名滝冬期初登攀、台湾チャーカンシー初遡行、14年には立山ハンノキ滝冬期初登攀、タイ46日間のジャングル初遡行など、以前に増して厳しい挑戦を続ける。
「重役風の男と握手をする写真をブログに載せ、「登山家」「冒険家」なる職業を名乗っている男など一〇〇パーセント、パチモンだ」(外道クライマーより抜粋)
反骨心に溢れながらもどこかユルい今の探検記
現代における真の冒険・探検とは何かを求め、宮城自らが身体を張り、「臭い」「汚い」「危険」の3Kの道を突き進むノンフィクション。そのタイトルの通り、経歴、記録ともに主流から外れた宮城の生き様は反骨心に溢れているが、随所に現れる彼のユルさが我々に親近感を与え、外道の道へ引き込んでいく。サバイバル登山家・服部文祥も推薦の一作だ。
外道クライマー
発行:集英社インターナショナル
定価:[本体1600 円+税]
国内未踏の地は沢登りの世界に未だ残されている。
地理的に未知の空間は日本には残されていないと思われているが、実はまだ少しだけ残っている。もちろん、かつての探検家が目指したでっかいフィールドはない。辺境の山奥の小さな藪尾根だったり、毒ガスが噴き出す沢の源頭、洋上に浮かぶボロボロの岩峰の先っちょとか。正直、かなりB級なのだが、僕をはじめ、そんな登山が好きで続けているモノ好きも少しだけいる。
国内の大物は、近代登山が普及した明治時代に次々と解明されていった。だがB級とは言いがたい大きな未知も、割と近年まで残されていた。それは沢登りの世界にあった。沢登りとは、日本発祥の土着の登山のことだ。大水や浸食など、地形の変化が起こりやすい谷筋という場所を辿る性質から、元より探検的要素が強い。フィールドも多岐にわたり、歩いて簡単に登れる沢から、100メートルを超える巨大な滝を登る沢、蛇のような水路を水流に逆らいながら泳ぐ沢……。遡行者はその形状ひとつひとつを丁寧に図に書き写していく。滝つぼの形、滝の高さ、水路の長さ、側壁の大きさに辿った登攀ライン。遡行図は、形を変え続ける沢の姿を事細かに表現する作品のようなものだ。
尾根の華がビシッと尖った岩峰だとすれば、沢の白眉はゴルジュだ。ゴルジュとは、両岸を数十メートルから数百メートルに及ぶ岩壁に囲まれた谷筋のことで、そこには悪絶な水路や滝が隠されている。尾根に挟まれて目立たない場所にあるうえ、不確定要素が多く、技術的に難しいので60年代までは探検の対象とされてこなかった。戦後の大登攀時代が終焉に近づく頃、クライマーたちはゴルジュに目を向けだす。1962年、両岸を400メートルの岩壁に囲まれ、幻の大滝と世間を騒がせた剣沢大滝の完登を皮切りに、日本各地のゴルジュは先鋭的クライマーたちによって次々と解明されていく……。そんな中、日本最後の地理的空白部と呼ばれ、最後まで未知を保っていた大ゴルジュがあった。全長2キロメートルの大ゴルジュ、称名廊下だ。登攀不可能と言われていたこのゴルジュも、2013年、大西良治という天才クライマーの手によってついに初遡行される。日本の大きな地理的空白部を辿る歴史に幕が下りたのだ。とはいえ、ゴルジュを中心に中小規模の空白部はまだ残されていて、国内の未踏を追い求めるロマンは、細々とではあるがまだ続いている。
“外道クライマー”に記された悪絶なる遡行記録を一部公開
宮城が那智の滝登攀以降に行った挑戦を記している“外道クライマー”。同書では大きく3つの人類未踏に挑戦しているが、ここではその苦行の一部を紹介しよう。
タイのジャングル
過去に遡行記録が残されていないタイの川筋を、46日間に渡って踏破した宮城。相方の高柳によって、その地形以上の苦難を与えられることとなるが、それもまた冒険要素だと宮城自身は振り返っている。近年稀に見る珍道中と言えよう。
出発前に6 ~7週間分の食料を準備する。米とマッシュポテトを一食分ごとにビニール袋にまとめると136袋になった。
藪や泥沼に囲まれるジャングルにあって、川の流れにザックをプカらせて進むと楽だ。が、内容物にまで浸水する事態となった。
巨大な野生のニシキヘビとノコギリで対峙した宮城。胴後半分は手に入れたが、胴前半部にはそのまま逃げられた。
本書の“真の主人公”と言える高柳が半分沈んだ自作筏を操る図。宮城の高柳に対する意識の変化も本書の楽しみの1つだ。
台湾のチャーカンシー
両岸を岩壁に囲まれ、周囲から隔絶された地形“ゴルジュ”の中でも、怪物級のゴルジュと目されるのが台湾に存在するチャーカンシー。宮城たち一行はこの隔絶空間を10日間かけて踏破した。社会不適合者“沢ヤ”の力が垣間見える。
壮大な光景を見せつけるチャーカンシー第二ゴルジュの大ひょんぐり。が、爆発的な飛沫はヒトの体温を奪うため、沢ヤは常に低体温症の恐怖と戦わねばならない。
左岸1000m、右岸1500mの岩壁に囲まれたケタはずれのゴルジュ。写真右上に宮城ら一行が写っているのがわかるだろうか。
日本の称名廊下・滝
宮城は落差日本一の称名滝および、そのすぐ隣を流れるハンノキ滝の冬期初登攀も成功させている。ちなみに日本最後の地理的空白と言われた富山県に存在する称名廊下(廊下はゴルジュの和名)は、大西良治が2013年に初遡行した。
3パートに分けて称名廊下を遡行した大西の記録を前に、宮城は一撃での称名廊下遡行に挑戦したが、これが敗退に終わった。
死と直結する称名滝の冬期登攀。外道クライマーに記された雪崩が頻発する中での登攀記録は、読む者を実際に硬直させるほどの緊張感がある。