【vol.42】日本の山旅再考 ー服部文祥が歩いた南会津~奥利根大横断ルートの全景ー

道路と発動機と化石燃料がなかったら人間のできることなど知れている。食べられるイワナの量も、運べるイワナの量も知れている。山奥に入る登山者は絶滅危惧種でその登山者さえシーズンに何日も山には入れない。

文/服部文祥 写真/亀田正人


 

南会津と奥利根をひとつと考えると大山塊が出現する

途中で国道を跨ぐ点が美しくないが、南会津と奥利根をひとつのフィールドと考えると規模の大きな山旅ができる。もっと北の毛猛山や下田川内から繋ぐことでさらに山塊は巨大になるだろう。

やり残した宿題をこなす熟成期の山旅

長期間の山旅が可能な日本の渓谷はおおよそ行き尽くしてしまい、もはや初期衝動の新鮮味を感じられるエリアはない。夏の長期サバイバル登山は二周目に入っている。

ただ近年は冬の降雪が少なくなり、八月の頭では残雪の状況が悪く遡行困難と言われていた奥利根や朝日連峰なども八月の長期山行ラインとして考えられるようになってきた。

檜枝岐から袖沢御神楽沢に入り、大白沢を経由して、奥利根を遡行するラインは昨年の候補ルートだった。途中で国道を跨ぐことになるが、南会津と奥利根を大きなエリアと考えて大横断するかなり面白そうなラインである。

昨年は残雪が多く、奥利根の雪渓の状態はかなり悪いという情報が入っていた。そのうえ七月後半には台風が太平洋に居座り、本州上で前線が停滞して入山できない日が続いた。奥利根への継続は早々にあきらめ、かわりに南会津でゆったりと釣りの旅を目論んだのだが、これもアブの大発生にぶつかり、カメダの陰嚢が股擦れになって中退した。本誌36号で報告した通りである。

昨年の山旅で得た教訓は、一日の行動時間を長くとると、長期の旅にはあまりよい影響がない、というものだ。おそらく、歳をとって耐久性が落ちているのだろう。今年は一日の行動時間を短くして、そのぶん目一杯長期間とし、最大一六日の日程を持って出発した。ラインはもちろん昨年来の宿題ライン。南会津奥利根ルートである。

安越又川の上流部。奥の稜線は南会津の主稜線だが登山道はない。稜線を越えてミチギノ沢を目指す。

ミチギノ沢は穴場である。里に近いわりにひっそりしていて、イワナもぼちぼちいる。カエルはもっといる。濡らしてはいけないカメラと入水。ギリギリで救って喜ぶイシカワ。

御神楽沢はイワナだけでなく、日本の渓谷美も堪能できる。美しいナメ滝とイワナが泳ぐ滝壺。遡行技術はそれほど要求されない。ただアプローチが遠い。

夏晴れの会津駒ヶ岳は登山者で賑わっていた。仕事を理由にカワサキは山を下りた。ほかのメンバーは山頂を踏んで南東へ、灼熱の中の縦走を開始した。

晴天の南会津を堪能した石川敗退までの前半戦

 初日(七月三〇日)。「命の内側プロジェクト」に鋭意邁進中の石川竜一が沖縄から、そして、カワサキ、カメダと浅草で集合して、東武線の特急で会津へ向かう。ザックには生米が六キロ。バスに乗り換えて、檜枝岐の手前まで行き、安越又川から入山した。猛暑もあってあまり欲張らずに、ぼちぼち山に入ってタープを張った。まだ里に近いのでイワナが小さく、数も少ない。久しぶりに胃袋まで食べた。
 二日目(七月三一日)。長期山行のはじまりは、重大な忘れ物をしているのではないかと不安だが、山旅は滞りなく動き出した。安越又川を遡って、灼熱の稜線を越え、カエルを拾いながらミチギノ沢を下る。四年前に中退した旅の最後に泊まった薄暗い平地が宿泊地。ミチギノ沢は穴場でイワナが多い。カエル炒めとイワナの刺身という夏の山旅定食。
三日目(八月一日)。ミチギノ沢をさらに下降していく。通行不可能なV字渓谷になるが、傾斜の緩い右岸に入ると、小屋場のような平地に出る。大正時代の鉈目を見つつ、道の残骸のような藪を抜けて、下流へ。ようやく袖沢御神楽沢に出る。天気はドカッパレ。試しに毛バリを振ると、すぐに九寸ほどのイワナが二本釣れた。結局、竿を出したまま前進し、尺上二本ほか数本でビクがいっぱいになったところで、平地を見つけて宿泊する。

四日目(八月二日)。昨日からたくさん釣っているにも関わらず、今日こそ本格的な釣りの日にしようということで、みんなで竿を出しながら進む。結局すぐにビクがいっぱいになってしまって、半日で行動を打ち切り宿泊。

五日目(八月三日)。二〇一一年の豪雨で荒れた袖沢御神楽沢の景勝地「岩畳」は、少しずつきれいになっているようだ。あわよくば稜線まであがり、大白沢へのアプローチを開始しようと思っていたのだが、どうやら、昨日は二キロほどしか進んでいなかったようだ。中途半端な時間に稜線にあがってしまうと宿泊地に苦労することになるので、あきらめて、また釣りをしてしまう。さんざん毛バリを打った(二尾釣った)宿泊地前のプールに、夕方、カメダが毛バリを打つと、連続して五本、最大三四センチのイワナが飛び出してきた。いったい昼間はどこにいたのだ?

六日目(八月四日)久しぶりに会津駒の一番高いところに立った。ここでカワサキは下山する。晴れつづきで、一滴の雨も降らず、美渓御神楽沢を遡行して、イワナもたくさん釣って、夏の山旅をほどよく堪能したカワサキは、満足気に街へ。三人になったパーティは灼熱の稜線を大白沢方面に縦走を開始。只見川の支流に入り、標高を下げる。ブナの森になったところで、平地を見つけて宿泊。イシカワが下降で足をひねったといっている。この日、新鮮なイワナはなく、オカズはカエル炒めのみ。

七日目(八月五日)。昨日の下降中にひねったイシカワの足は痛みが引かないようだ。ザックにはまだ米が四キロほど残っており、それも歩行を困難にしている。このあと大白沢遡行、水長沢下降、奥利根遡行と難所が続く。イシカワは沢登りの経験が私とカメダに比べて圧倒的に少ない。今回の旅はタフになると事前にだいぶ脅しておいたのでプレッシャーもあったようだ。出発前にはイシカワのカミサンが福島第一原発の近くには行くなと言い出す事件もあった(たぶんイシカワ以上に不安だったのだろう)。

いろいろ総合的に考えて、今回、イシカワはここまでにしたほうがいいだろうとなった。国道に出たところで、必要な装備と食糧の一部を受け取り、現金をほとんど持たないイシカワに帰りの電車賃を渡して、私とカメダは大白沢を目指して北へ。イシカワは里を目指しビッコで南へ下りていった。
(山旅報告はイシカワの敗退感想記の後につづく)

足に腫れはなかったが、痛みは引かなかったようだ。身体に不安を抱えたまま続けられるような旅ではない。国道に出たところでイシカワは里に向かって下りていった。

「自分の『敗北』を
自分で認めた瞬間
魂のエネルギーは限りなく
0に近くなる」
(テレンス・T・ダービー)