【vol.41】白馬岳山行記 ーあるクマの最期を目撃すー

この大渓谷の片隅に思いがけない遭遇があった

ガラガラと岩が崩れ落ちる音がして目を向けると、崩壊地の崖を岩屑と一緒に黒い物体が落下していた。質感からケモノ、色からカモシカではなく、どうやらクマのようだった。スローモーションのようで、あっという間の出来事を見送ったあと、「どうする?」と亀田と視線を交わしてからザックを下ろし、その黒い物体が落ちていった渓底に向かって下っていった。

文/服部文祥 写真/亀田正人


 

そもそもGWは昨年に引き続き、インドヒマラヤの麓で沢登り&渓流釣りの山旅をしようと目論んでいた。

本州だけで獲物を追っていた数年前までは、春と秋はまじめに登山をする時期だった。北海道でも狩猟をするようになって、秋も獲物山になってしまい、さらにヒマラヤでも釣りをするなら、獲物山にオフシーズンはひとときもない。

ラダックの周辺に目星を付け、少し調べたが、マスのいる楽しい山旅の確信は湧いてこなかった。インドの国内線を日本で購入するとそのチケットは異様に高い。乗り気だったカワサキが家庭の事情で行けなくなったと言いはじめ……。猟期最後の追い込みの合間では調査が進まず、今回の春のインド釣り旅行は中止にすることにした。

連休は久しぶりにゆっくり家の工事でもしようかと思ったのだが、前半は天気がよさそうなので、いっしょにインドに行く予定だったカメダと白馬岳の黒部側に行ってみることにした。

前々から黒部奥山廻りルート(江戸時代の北アルプス登山ルート)が、春先にはどうなっているのか気になっていた。おそらく江戸時代以前の山人たちは、残雪を見て山の歩行可能ラインを見いだし、残雪を利用して移動していたはずだ。春の黒部下奥山(北アルプス北部)をこの目で見たら、より深く日本の山登りを理解できる予感があった。

ギョウジャニンニクがたっぷり採れると信じて、食料はいつものように米と調味料だけ、宿泊装備もタープ&焚火にした。

大雪渓から白馬岳に登り、後立山の稜線を越えて柳又谷へ。ルートはナル谷。「ナル」とは、越中地方で危険なく通過できることを指している。名前の通り雪原を繋いで柳又谷に下りることができた。

雪原の切れ目に見えている流れに毛バリを打つ。反応してくれるイワナはおらず、初日は予定どおりギョウジャニンニクのフルコースとなった。

二日目、ザックを背負って出発したが、少し登ったところにギョウジャニンニク畑ときれいな小川を見つけてザックを下ろす。そのまま、昼寝と周辺の散策になった。散策はするものの、見つかる食料はギョウジャニンニクのみ。覚悟はしていたが、あと三日間これでは辛い。

基本的に雪が付いているところは傾斜が緩く、雪がないところは雪が留まることができないほど傾斜がきついと考えられる。歩行は雪を繋げば問題ない。

早朝猿倉を出発し、大雪渓から白馬岳、清水岳を越えてきたため、柳又谷を渡ったところで、力つきてタープを張った。周辺にギョウジャニンニクとフキノトウがあることは、双眼鏡で確認済みだった。

二日目の宿泊地は初日の宿泊地から標高を上げたところ。見ての通り、ギョウジャニンニクの草原になっているので、正確な場所をあかすのはやめておこう。食卓についたまま、収穫し、食べることができる。ただ、オカズはそれだけ。

周辺で気軽に取って食べられるものは、ギョウジャニンニクとフキノトウくらい。もしカモシカを撃てるなら、ちょっとした努力で獲れそうだが……。

何気ない移動の最中にドラマは服部の目前で起こった

三日目はイワナを求めて北又谷に移動することにした。ギョウジャニンニクはたっぷりザックに持って行く。一〇分も歩いていないとおもう。ガラガラと崖が崩れるような音がして、目を向けると右手の岩壁を落ちていくものがある。カモシカ?ではなくクマのようだ。クマは滑落するほどマヌケではない。そして少々の滑落ではビクともしない(破壊強度が高い)。だがその滑落は、石と雪と一緒にバウンドしながら二〇〇メートルほど落ちていく規模だった。

「さすがに死んだかもしれない」

ザックを下ろして見に行ってみることにした。クマと同じ目に遭わないように注意しながら下りられそうな斜面を探して、クマが落ちていったほうに近づいていく。岩屑が堆積したところは見えるが、そこにクマらしき物体はなかった。あれほどの滑落をものともせず歩き去ったのだろうか。せめて足跡くらいは確認したい。その足を追えば、事切れたクマに行き当たるかもしれない。

岩雪崩がおちている周辺に足はなく、見上げるとササと灌木のヤブに大きな黒い物体が引っかかっているように見えた。

「やばいですよ、気を失っているだけかもしれない」とカメダがいう。

おそらくクマは冬眠開けで寝ぼけているところに、我々が出現し、あわてて逃げて足を踏み外し、滑落したのだろう。もし傷ついてヤブの中で休んでいるなら、我々に恨みを持っているかもしれない。大きく上に回り込んで、落ちている石をクマらしき物体の近くに投げてみた。

反応はない。

さらに近づいて同じことを繰り返す。

どうやら死んでいるようだ。側まで行って触って見ると、クマは完全に死んでいて、毛皮は日に照らされて異様に熱くなっていた。一〇〇キロに届かないくらいだろうか。周辺はパラパラ落石があるので、ヤブを転げ落とすように雪の上に落とす。重いクマを滑らせて、少し広い雪原までなんとか引っ張っていった。

ナイフはザックに入っていた。カメダもカメラをザックに置いてきたという。二人して、いったんザックに戻り、今朝まで泊まっていたところに帰って、再びタープを張って荷物を出した。私は空のザックとナイフを、カメダは空のザックとカメラを持ってクマのところに戻った。

かつてクマ一頭は米二〇俵の価値があったという。肉も薬(熊胆や腸)も布(毛皮)も貴重品だったからだ。いまはハナマサとマツキヨとユニクロがあるので米二俵の価値もない。それでも我々にとっては願ってもない天の恵みだ。今回の山旅がいろいろマイナスの要素が重なった代案として突然なんとなく発生したことを考えると、この予期せぬクマとの出会いは、獲物を前にしてもなお、心のなかでフワフワとして落としどころがなく、泣き笑いでもするしかない。食料も装備も最低限という我々のスタイルを、獲物の神様が評価してくれたのかもしれない。

クマをバラすナイフはイワナ用のペティナイフ。脂がつくと取っ手が滑るが、ゆっくり慎重にやるしかない。

内臓を出し、四肢をバラし、背ロースを取り、頭を外す。カメダが平行して肉を骨から外していく。肉以外にも毛皮も頭骨も骨もすべて欲しい。とりあえず二人で持てるだけ持って、よたよたと宿泊地に戻った。

焚火を熾し直し、背ロースを焼く。

うまい。やや固いが脂と旨みは絶品だ。

「今回の登山は終わりだな」

今夜と明朝できるだけ肉を胃袋に詰め込んでも、おそらく残った肉をすべて下ろすことはできない。持てる分の肉を下ろすだけでかなり激しい労働になる。

実際、重いザックとともに富山側の里に下りたのは、たっぷり二日間、汗だくで歩いたあとのことだった。

雄の成獣で、そこそこ年齢もいってそうだった。頭の形が平べったくて大きく、首がイノシシのように太いというか、顔からそのまま身体というか。全体的に頑丈そうで、小さな滑落などではびくともしない感じだった。

肉と皮が脂でへばりついているタイプのケモノなので、皮むきが少々苦労させられるが、それ以外は特別なことはない。熊胆が生薬として重宝されるので、回収する場合は内臓の扱いにちょっと気を使う程度。

クマ肉はシカと違って個体差による味の違いが大きい。雄の成獣だったが、肉に臭みはなく、旨みは多く、やや硬いものの、かなり旨い部類の肉だった。これ以上を望むのは、失礼ともいえる極上肉といっていい。