【vol.41】台風とマイムマイム

今年は酷暑が続いている。

あんまりにも暑くて予定していた家のトタンの張り替えは多少の雨漏りさえ気にしなければいいだけの話だと自分に言い聞かせている。

もう完全なる異常気象だ。

海の中も水温も高くて根魚が多く、カンパチなどの大物の回遊魚がほとんど見当たらない。台風も当たり年で、外海の波が高くなってくると波が比較的静かな港にウミガメがわらわらといっぱい避難してくる。肺呼吸のウミガメは海面に浮上しなくてはいけないので波の影響を受けやすいのだろう。

集落の共同草刈りの打ち上げの席で座がだんだんと興に乗ってくると、必ず島のおじさんたちは「亀(僕のこと)! アオウミガメ! を突いてこい。アカは臭いからダメだぞ」と口々に、嬉しそうに言う。今は捕獲禁止となっているウミガメだが、昔はよく食べていたようだ。ウミガメは油が緑色で、生臭さを消すために島の特産の明日葉を入れてスープにして食べる。肉はあんまりなくて殆どがモツとゼラチン質という感じだ。服部さんがよく食べているミドリガメ(僕はまだ食べたことないけれど)やスッポンほど旨味が強くない。

昔、漁師が大きな亀を突いて、甲羅に銛が刺さったまま一緒に潮に流されてしまった。

集落総出でえらいこっちゃと大騒ぎとなっている渦中に、当の本人が遠く離れた港から亀とともにタクシーに乗ってひょっこりと帰ってきて、開口一番「何みんな大騒ぎしているの?」と大真面目に尋ねたという逸話がある。

台風は畑の野菜もなぎ倒していく。

強風から野菜を守るために支柱を立てる作業をしながら、農耕は狩猟とは考え方も行動も全く逆だなといつも思う。食べるものを自らの手で得る意味では同義だけれど、全くプロセスが攻守反転している。獲物は逃しても“また獲ればいいや”となるけれど、育ててきた農作物がダメになると基本的に来年まで育てることはできない。すでにあるものを減らさないようにする行為は、どうしても無意識に感覚が守りに入ってしまう気がする。だから近世から農耕を生業としてきた大多数の日本人は、他者への同調とか忖度とかいうものが、現在も身体のどこか奥底にしっかりと根付いているのだと思ってしまう。

櫓の周りをひたすら高速で廻り続け、徐々にみんながトランス状態になっていく。

不自由な安定と自由な不安定。どちらがいいとか悪いとかの問題ではないけれど、農耕と狩猟採集は長期ローンで家を買うのと、その日暮らしのテント生活のような違いがあると感じる。

先日、探検家の関野さんがピダハン(現在も狩猟採集で生活を営むアマゾンの先住民)の話をしていて面白かったのは、彼らは過去を振り返らない。未来の心配もなく、そして目標も持たない。失敗という概念もない。今、現在だけをありのままに受け入れている。例えば事故で足を無くしたとしても、過去を振り返って悔やんだり悩んだりということはなく、どうやってもう片方の足でこれから動いていくかを考えるという。

彼らが挨拶に使う言葉は「ただそこにあなたが存在していること」という意味で本当にそうだよなと思う。確かにそれを貨幣経済に根ざした現代の日本で実践するのは難しい。だけれどもピダハンの感覚は至極真っ当で、気持ちの持ちようだけでも参考にはなる。

話は変わるが、僕の住んでいる地域では夏になると変わった盆踊りをやる。廃校となった小学校のグランドでマイムマイムの曲に合わせて、老若男女が手を繋いで櫓の周りを高速で回って踊り狂うというものだ。無意識に抑圧されていた日常から離れてエネルギーが暴発する感じが見ていてこちらも嬉しくなる。

日本独特のまさにハレとケ。これはこれでいいよなといつも思う。

この日は島焼酎や食べ物が来場者に無料で振る舞われる。汗にまみれた男と女が踊り狂っているのを見ていると、昔の村落の祭りでは夜這いとかもいっぱいあったんだろうなと、勝手にこちらの想像も膨らんでしまう。

自然発生的にできた高速マイムマイムがいつの間にこんな盛り上がりを見せることになったのかは誰にもわからないが、この日ばかりは島に里帰りしてきた若者たちが一堂に集まってきて集落の人口が倍増する。マンパワーがなくなり2日間あった祭りも1日だけになってしまったけれど、なるべく可能な限りは続けていけたらなと、思う。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine:Intifada』『Re:WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を今年2月に刊行。