【vol.30】サバイバル登山2016

正義漢面で世の中を闊歩する「安心快適」といった言葉につばを吐け。そんなものの先に、真の自由は存在しない。滑落死の恐怖、ヘリコプターの否定、人間的ルールの拒否の向こうで我々の命は、鈍く、だが、美しく、輝いている。

文/服部文祥 写真/亀田正人

服部文祥

はっとりぶんしょう◎1969年生まれ。登山家、作家。ヒマラヤの高峰登山や国内外でのアルパインクライミングの末に、道具と食料を極力山に持ち込まず、現地調達するサバイバル登山を始める。『ツンドラ・サバイバル』で第5回梅棹忠夫山と探検文学賞受賞。山岳雑誌「岳人」編集部所属。


 

北アルプス中部から南部へ大渓谷を繋ぐ
最大12日の日程で黒部や北鎌尾根周辺を楽しむことを求めてつながったライン。技術的にさほど問題になる場所はない。

文明と登山と人間について

18世紀から20世紀、まだ地球のあちらこちらを人間が確認しきれていなかった時代、人間が辺境地に行くことができるかどうか、実際に行動して証明するのが登山や探検だった。

だから当時はどのような手段を使っても構わなかった。それどころか、利用できるものはなんでも利用した。科学文明と探検は仲良しで、雪上車で南極点に行ったり、飛行船で北極点の上を通過したりなんてことまで、探検として競われたこともある。いまではそういう行為を探検や登山といわない。地球上のほぼすべての地域に人間が行けることがわかったので、意味がなくなったのである。

未踏峰はまだいくらか残されているが、人類が全力で挑んでも登れるかどうかわからない、という山は存在しない。登山においてヘリコプターや飛行機があまり利用されなかったのは、地理的な問題で相性が良くなかったからである。その結果、人は自分の足で登ることに価値を見い出し、ヘリコプターが10年以上前にエベレストの山頂へ降り立ったにも関わらず、登山という行為を続けている。自分の肉体だけで自然環境を移動したり、地理的な障害を克服したりすることは、なぜか人をひきつけるのだ。

ヘリコプターで山頂に降り立って、山に登ったという人はいない。だが、山頂の手前までヘリコプターで飛び、すこし歩いたらどうなのだろう。山腹ならどうなのか? ロープウェイは? 自動車は? 整備された登山道は?

たとえば日本百名山の一部は自動車で山頂近くまで行くことができる。百名山を選定した深田久弥が登った時代とは登山事情が大きく異なっている。自動車で山頂近くまで登り、もっとも簡単なルートから登頂しても、深田百名山のひとつを登頂したということになっている。

「自分の力」と「文明の利器」のバランスに関して、登山者自身が深く考えていないか、もしくは、交通機関の利用を当たり前として受け入れている。

一方で、文明を排することで行為の純度を突き詰めようとする文化も少なくない。登山ではフリークライミングがそうだし、スポーツ一般はドーピングを否定している。登山や探検はその発展過程で科学技術と固く結びついていたため、科学の関与に鈍感なのだろうか。いや、フリークライマーもクライミングエリアまではすこしでも楽をしようとするし、スポーツも金と科学と共存している。

そして北アルプス鳶谷へ 

2016年8月初頭、夏の北アルプス、真川支流鳶谷の出合に立った。大雨で出発を遅らせたが、いよいよ9日間のサバイバル登山開始である。登山道を避けて薬師岳に登り、まっすぐ黒部に下りて、渓を繋ぎながら槍ヶ岳を目指すという計画だ。

自由を独立した概念として捉えるのは難しい。自由は不自由との相互依存で説明される。生き物が精神的にも物理的にも束縛されて「いない」状態を自由という。おなじく健康や平和など、一般的に喜ばしいとされる状態は、対立する喜ばしくない状態との比較でしか説明しにくい。

「自然」も、都市や人工との対比で説明される。人の手を加えないありのまま状態を一般的に自然という。「自然」という新しい言葉が作り出されるほど、地球は手垢にまみれたということだ。

自然を自由に旅する。それがサバイバル登山の骨子である。もはや登山でさえ、開発整備された人工的自然を旅するのが当たり前の時代に、あるがままのフィールドをできる限りなんの束縛もなく好きなように旅しようという試みだ。電気製品は持ち込まず、装備は極力少なくして、食料は米と調味料だけ。自分で自分に制約をかけているようにみえるかもしれない。だが、実は制約ではなく、それが自由への道なのである。

初日は首都圏からの移動だったので、入渓早々に平地を見つけてタープを張った。電気製品を持っていないので、もちろんライトはない。早めに宿泊地を決めて、体に染み付いた「街時間」を「山時間」に切り替える。軽く釣りに出て、イワナを集め、早めの夕食。渓には釣り人のものと思われる足跡があり、本流を釣った私と亀田の釣果はいまいちだった。小さな支流に入った川崎が尺一寸のイワナをあげてきてニヤけていた。

隣の岩井谷はイワナが多くて有名だ。もし鳶谷にも同じくらいイワナが生息しているなら、薬師岳に直接突き上げる分、登山路としては魅力的になる。軽く竿を振りながら遡行したのだが、釣れる魚は小さく、次第に魚影は薄くなり、滝が出てまったく魚がいなくなった。数年前に鳶谷を遡行したダメ系の後輩が、魚止めは源頭部だったと言っていたのを信じてきてみたが、怖れていた通りガセネタだった。

ガスと小雨の中、次々に現れる滝を登ったり巻いたりして標高をあげていくと、奥の二俣で左右の岩壁が切り立った滝場になった。異様な地形をガスが隠して、不気味さが増している。

滝を登ると源頭が開けた。源頭の草原にタープを張り、雨が降っていたのでタープの下で焚き火を起こす。薪は周辺から枯れ木を集めてくるが、火付きは悪い。

折立~鳶谷出合
第1日 〜さらば文明の光〜

日本百名山のひとつ、薬師岳(2926m)を越えて、黒部川に至る面白そうなルートとして鷲谷を選んだ。始発の新幹線に乗って東京を後にし、ローカル電鉄とバスを乗り継いで入渓点へ。渓はまだ前日の雨の影響を残していた。

下山なのか入山なのかわからない風貌だが、入山である。重量の半分は9日分の米。

一晩分のオカズをとりあえず手に入れようと岩井谷を釣る。それなりに釣れるが、釣り人の足跡があり、魚影は薄い。

初日は焦らず、早めに宿泊地を決めてタープを張る。すでに時計やライトからは遠く離れ、体を自然のサイクルに合わせていく。ウドの花と実を炒めたが、旨くはない。

鳶谷出合~源頭部
第2日~滝三昧~

魚止めの標高は高いというのはガセネタだった。食料調達日の予定だったが、魚がいないので移動日となる。いくつか滝を越えて標高を上げるとガスに煙るゴルジュになった。ラインを誤らなければ、ロープが必要な登攀はない。

ゴルジュ内のチョックストン滝。右にある階段状のガレ場を登れば越えられるが、落石に注意。ガレ場がなければ手の出しようがない悪場である。

顕著な滝としては最初に現れるもの。これが実質的な魚止めになっていたようだ。左の大岩のさらに左側から簡単に巻くことができる。

奥の二俣から始まるゴルジュを巻く。だが、下降点がなかなか見いだせない。ヤブを頼りになんとか沢筋に戻ることができた。