【vol.68】クジラと落とし穴

八丈島は雨が続き、まるで春を飛び越して梅雨になってしまったようだった。雨、風、雨、時化、ときおり雹、そして雷。この季節にここまで悪天が続いたのは越してきてはじめてだ。我が家の猫も家の中でうずくまり全く動かない。死んだのかと思って体を揺すると迷惑そうに“なんだよ”とこちらを向くので、「あー悪かった。俺より何もしないやつだな。ネズミぐらい捕ってこいよ」と猫に毒づいた。

湿気と憂鬱な灰色の雲が島全体に覆いかぶさる日々が続いた。気温が高くなって蚊まで出現し、「あれもう冬は終わり?」なんて油断していると、突然の寒波襲来で雪が降る。天候がともかくおかしい。備蓄していた乾いた薪もなくなり、生活にもじわじわと影響が出てきた。「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」とは言うが、漁師も僕も時化が続き、豊かな海から切り離されると生きていけない。

冬の海は透明度が高く、泳いでいてとても気持ちがいい。運が良ければこの時期だけ浅場に寄ってくる大型のヒラメにも出会える。しかしその一方で、数年前からアラスカから回遊してくるザトウクジラが島の冬の風物詩となった。回遊してくる確かな理由はわからないが、黒潮の流れが大きく変化したことや温暖化が原因の1つではないかと言われている。一連の環境変化の影響で、名産のクサヤに欠かせないムロアジが全く獲れずに困っていると聞くことも多くなった。

はじめて水中でクオーーーンと響くクジラの鳴き声を聞いた時は、なんだかわからずに「あーとうとう俺の頭もおかしくなったか。まあ幻聴もいいもんだから、細かいことは気にしないでいいよな」と思ったものだ。爾来、クオーーーンと少し物悲しい鳴き声を聞くと、「あーまたあいつらか。海の中にも冬が来たんだな」と思うようになった。

先日、福島で代々漁師を営む60代の漁師と意気投合し、酒を飲んで海の話で盛り上がった。

「底引網みたいな意地汚いやり方で根こそぎ魚を獲りすぎるなとじいちゃんによく怒られたよ。じいちゃんは魚群探知機やGPSは使わず、全ての磯の情報が頭に入っていた。昔は夜に船を走らせても灯台の灯りなどの僅かな光を頼りにしていたけれど、原発ができてからは街が明るくなりすぎて陸地の目印が逆にわからなくなった」

「津波で故郷は流されてなくなってしまった。みんなが泳いでいた浜は防潮堤ができて様変わりしてしまった。やっと少しずつ軌道に乗ってきたのにまた汚染水の排出の問題が出てきた。だけど明日も漁に出るよ」

別れ際、握手した時の彼の大きな分厚い掌の感触が、いつまでも印象に残った。

「内閣府や経済産業省が東京電力福島第1原発事故の被災地である県沿岸部に芸術家を呼び込み、映画や演劇、現代アートなど、さまざまなジャンルの創作拠点としたい考えだ。地域をテーマにした作品を発表してもらい、原発事故のイメージ払拭を狙う」。そんなニュースを聞くと、多くの“文化人”と呼ばれる人種が国家の後押しのもと、嬉々として戦争礼賛をしてきた過去と重なって気味が悪い。

メディアはウクライナが正義、ロシアが悪と色分けして、血が流れる現実の戦争をビデオゲームのキャラクターを解説するかのように単純化して報道する。元来、メディアは戦争と親和性が高く、反テロ戦争、太平洋戦争など、大規模な戦争になればなるほど国家と一体となり、仮想の敵を作り出して国民の戦意高揚を煽って利益を上げてきた。

現代の戦争は国家が広告代理店を雇って、自分たちに有利な情報だけをばら撒いて世論を形成していく。世界最大の借金を抱え、経済基盤が脆弱なはずの日本も、「戦争の匂い」の風潮に乗じて国民に信を問わないままアメリカからとてつもなく巨額な武器購入を決めた。

政治が最優先でするべきことは「戦争を絶対に起こさないこと」で、そもそも戦争には勝者も敗者も存在しない。一度パンドラの箱を開けたら最後。暴力の連鎖が人々の日常の全てを飲み込んで破壊していく。圧縮された暴力は人々の間に憎悪を生みだし、他者への想像力の欠如となって、不寛容の社会を作り出していく。そして平和を維持するはずの武器によって戦争がはじまり、最終的には自分たちが殺されてしまう極めてパラドックスな世界が拡がっていく。それは放射能汚染の問題を棚上げにして、温暖化対策のために原発を新設しようとする「何となく今さえ良ければいいや」という姿勢と酷似している。

近所のSが「梯子を貸してくれ」と尋ねてきた折、納屋にあるはずの梯子がなく、そういえば伐採中の山中に梯子を置きっぱなしにしていたことを思い出した。小雨の中、「めんどくさいなー」と早足で草を掻き分け取りにいくと、大きな穴に落ちてしまった。海にも行かず、正月太りで重くなった中年の肉の塊が地面に打ち付けられ、突然の衝撃で何が起こったのか理解するまで数秒間かかった。後からついてきたSは僕が急に視界から消えた直後、「あーーFUCK」とうめき声をあげる様子にビックリしたようで、僕があげた肉の燻製を放り投げて駆け寄ってきた。

「あーこの前もこの穴に落ちそうになったばっかりじゃんーー」

僕は崩れた土の壁を眺めながらそう叫んだ。落とし穴の存在をすっかり忘れていた。落ちた場所は幸いなことに崩れた柔らかい土がクッションとなっていて怪我はなかったが、衝撃で脳が揺れたような感覚がしばらく続いて調子がおかしかった。穴のすぐ裏手には芋泥棒をして殺された流人たちの無名墓がぽつんとあって、夏になるとSたちとそこの草刈りをしていた。「彼らが助けてくれたのかもな」と柄にもなくSに思わず言った。

パレスチナ自治区ヨルダン川西岸ジェニン イスラエル軍の攻撃が収まった僅かな合間に食糧配給をうける住民。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。写真集『山熊田 YAMAKUMATA』が2018年2月、『戦争・記憶』(青土社)が2021年8月に刊行された。