【vol.61】軽石とヤギ

天気の悪い日々が続き、1ヶ月分ぶりに海に潜ってみると、水温が下がったせいでカンパチやアカハタなどが大漁だった。カンパチは図体が大きいのでモリを刺すのは簡単だが、群れの中でなるべく大きな個体に目をつけ、傷つけずに一瞬で血抜きができる頭や鰓を狙っていると逃してしまうことが多々ある。とはいえ、「あー色気を出し過ぎた」としくじっても、半分以上の確率で彼らはモリの発射音に反応して近寄ってくるので、2回目のチャンスで捕獲というパターンが多い。現金なもので久しぶりにカンパチを目にすると、「今夜はカマの炭火焼きで一杯だな」とこちらも卑しい精神状態がモロに出てしまい、狙いの精度も落ちてしまうから面白い。

カンパチは生来の好奇心の強さが仇となり、こちらの勝手な気分で獲られてしまうかなり間抜けな魚だ。彼らのことを気の毒に思うこともあるが、本格的な冬が訪れると時化で海に入れない日々が続くので、近所の人に配りきれない分はせっせと粕漬けや干物、燻製、昆布締めなどにして、日々魚ばかりを食べている。このところはカンパチの心臓と胃袋を軽く湯掻いてポン酢で食べるのにはまっている。

 思えば八丈に引っ越してきたばかりの頃、集落の浜で食べさせてもらったカジキのモツ煮がとても美味しかった。「いつかはまた食べたい」と今でも夢に出てくるのだが、最近はカジキを獲る人もめっきり少なくなってご相伴にあずかる機会がなくなってしまった。あの独特な旨味が忘れられない。

また、集落で唯一ヤギを飼育し、よく一緒に解体をしていた人も亡くなり、ヤギ肉を食べることもなくなってしまった。ヤギや牛のツノを漁師にあげると、「よく釣れる鰹用のバケが作れる」と喜ばれたものだが、今はあげる人もいなくなった。

そして最近、連れ合いの父親がペットとして飼っていたヤギが死んだ。悲しんでいる彼の横で「あーヤギ肉食いたい。最近は魚ばかりだから後ろのモモの部分だけでもくれないかな」と思ったけれど、家族同様のヤギを失い悲しんでいる彼にそんなことを言ったら確実に嫌われてしまうだろうとグッと生唾を飲み込んだ。

久しぶりに知り合いのくさや屋へ買い物に行くと、原料のムロアジがまったく獲れずに困っていると主人のOさんは言った。

「年末にかけて稼ぎどきなのに、こんなことははじめてだよ。ムロ船が出てもまったく獲れない。仕方がないから五島列島からムロアジを仕入れようと考えている。ムロアジの代わりに赤い魚、名前なんだっけ? そうだグルクンがいっぱい獲れるみたいだよ」

グルクンは沖縄の県魚として馴染みのある魚だ。

「泳いでいてムロアジ見ない?」と聞かれて「小さな群れは見るけれど、この季節にしてはサイズが夏場によく見かけるサイズで小さいよ」と答えた。「今時期のムロアジはサイズが小さくても骨が硬くて、夏場のように丸ごと食べられないんだよね。成長が遅くて骨が硬くなっているよ」とOさんはひとりごちた。すると傍らの奥さんも「内地から島に戻ってきた息子が家の仕事を手伝おうかと言ってくれたけど、これからどうなるか分からない大変な仕事だからと役場に勤めるように勧めた」と言った。

街場で暮らしていた時よりも海が生活の中心となったことで、環境の変化を敏感に感じて驚くことが多くなってしまった。海亀に大きな腫瘍ができる姿を最近よく見かける。秋の味覚の鮭や秋刀魚の不漁のニュースも当たり前になった。

沖の方で泳いでいるとシュノーケルから口の中に変な異物が何度も入ってきたので「発泡スチロールの欠片かな?」とよく海面を見てみると、例の軽石がチラホラ。軽石は水の濾過にも使えそうな、植木鉢の底に入れたら排水性が良くなりそうな感じの雰囲気だ。実際に沖縄の友人はミカン袋に軽石を入れて、金魚の池の濾過装置に使っているという。「塩抜きさえちゃんとやれば売れるぐらいの良質な資材になりそうだ」と知り合いの植木屋さんも言う。

この間、久しぶりに見たイルカのヒレに白いゴミが巻きついていたのを見たばかりなので、自然由来の軽石よりも海に漂う大量のプラゴミの方がどうしても僕は気になってしまう。

浜での飲み会を終えて家路につくMちゃん。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。