【vol.60】猫と温暖化

トラブル続きだった沖縄集団自決の本にようやく目処がつき、印刷の立合いに埼玉郊外の工場へ行った。印刷の立会いとは、印刷機から出された本紙の最終的な色味確認作業で写真集の製作では必須の作業だ。ダブルトーンの写真印刷部にどうしても細い掠れた線が出てきてしまう箇所があって「印刷機の固有の特性でどうしようもない」と大汗をかきながら何度もやり直す職人の姿を見ているうちに細かい所を気にしても仕方がないと諦めることにした。

工場の喫煙所で印刷工の人たちと話していると、印刷所は24時間フル稼働で1日2交代制だという。

「工場で2食飯食べて家に帰ったら1杯やって寝るだけですよ。でも他と違ってきちんと残業代も出るのでうちは条件がいいですよ」

工場責任者の中年男性に「24時間操業は大変ですね」と言うと「なるべくブラックにならないようにしています」と、3人の兄弟で工場を回しているというその実直な顔を見て、ここで印刷ができてよかったなと思った。

印刷の待ち時間に印刷屋の営業の人と話していると、いつもの通り紙媒体の衰退を嘆く話になった。徐々になくなっていく仕事を作り手、版元、印刷所がそれぞれの思いを感じながらやっているんだなとしみじみ思う。ついこの間も、写真集専門の本屋で精力的に活動していた若い店主から「この先何をするかまだ決めていないけれど、本屋は廃業します」と力尽きた感じで連絡が来たことを思い出した。

八丈島に戻ると来客が多く、オカズ獲りに海に潜るとカスミアジ(石垣島に住む八幡さんの前号コラムでも登場した温かい海を好む大きな魚)や大型化したナンヨウカイワリなど、今までいなかった魚が黒潮に乗ってやってくるようになった。アジ系の魚は食味も良く、熱を加えても身があまり固くならないので皆に喜ばれ、獲物としては嬉しいのだが素直には喜べない。

「ほら、これ全部イノシシの足跡だよ。以前はまったくいなかったイノシシを最近よく見るようになった。捕まえ方が分からないので他の地域に行って捕り方を教わりに行ってきたよ」

今まで熊が主な獲物だった山熊田の人たちがそう話していたことを思い出す。温暖化で生物の分布限界が北上し、生息域が拡大したのだ。

政治と経済が効率だけを優先し、AIの進化や高度なシステム化が人間の基本的な行動形態をパターン化して問題を解決していく。消毒された無味無臭の日常生活で「生きる」ことについての肉体的な手触りがなくなっていくことは、自分たちを取り巻く世界に対してきちんと反応できなくなっていくことなのだと思う。

暑ければクーラーをつけて、疫病が流行ればワクチンを打つ。

人々は自身の生命が危機に侵された時には対処的な解決法を求めてパニックになるが、それらの根本原因である自然を利用し、破壊している現在の自分たちの在り様については目を瞑り続ける。

我が家のメスの老猫、ボテがつい最近死んだ。彼女は左前足に腫瘍ができて大きく腫れ、固形物はほとんど食べることができずに水を何とか飲むだけだったが、僕がカンパチをさばいていると最期の力を振り絞ってフラフラとやってきて、柔らかい肝臓を食べた。

ボテは大きな台風が過ぎ去った晴れた日、「アーもうやってられない」という感じで12回戦を戦い終えたボクサーのようにボロボロの痩せこけた姿で外へ出て行った。我が家では動物が死んだら畑に植っているバナナの根元に埋めるのが慣わしとなっているが、翌日遺体を探しに何度か連れ合いと家の周辺を探すも見つからなかった。数日後、時折プーンと家の中にまで漂ってくる強い独特の死臭に「あーあいつだな」と「どこか近くで死んでいるんだな」とライトを持って家の軒下に潜って探してみても見つからなかった。

生物にとって生と死はそこにある自然と同義だが、戦争を起こし、同種同士で殺し合い、自殺さえもする人類だけが死をタブー化して特別な意味づけをする。物事に存在理由や理屈をつけて悦に入っている人間よりも、猫の方がよっぽどサッパリして立派だなと思う。ただ今も漂い続ける彼女の残り香には困ってしまうけれど。

久しぶりに八丈の山に行くと山肌に巨大なコンクリートの構造物が蜘蛛の巣のように被さった痛々しい姿となっていた。

亀山 亮

かめやまりょう◎1976年生まれ。パレスチナの写真で2003年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。著書に『Palestine : Intifada』『Re : WAR』『Documen tary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。13年『AFRIKA WAR JOURNAL』で第32回土門拳賞を受賞。新作写真集『山熊田 YAMAKUMATA』を2018年2月に刊行。